家ごはん ささみ肉のチーズはさみ
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
王宮庭園には都を見下ろすことのできる楼閣があった。民部卿は伴もつけずその階段を昇った。見晴らしのよい最上階には高句麗王しかいなかった。天蓋の布が春風になびく。壮年の王は数々の戦場を駆け抜けてきた武人でもある。壇に寝そべりながらも老いた民部卿に向ける目は鋭い。平伏する臣下に王は問うた。
「百済のねらいはどこにある」
「伽耶国の復興をもくろんでおるようでございます」
「濡れ手に粟で鉄山の利権を手に入れようとは露骨よの」
「百済は東晋との関係を笠に着て慢心しております。武闘派の将軍がやっかいばらいになりましたゆえ律令派の天下にございます」
「それをお前が言うか」
「おそれいります」
民部卿は山岳部族であるワイ族の族長の家柄で晋時代に楽浪郡に留学し律令官吏となった。帝国滅亡で混乱する郡都をとりまとめ律令制度ごと高句麗王に投降した。その誠実な人柄と大胆な行動力とで律令官たちの信頼は厚い。今の高句麗王が王位を継いだときすでに民部卿は高句麗の重臣のひとりだった。
王はしばらく民部卿を見下ろしていたが、その本心をつかみかねたように目を離した。燕との講和を建言したのは民部卿だった。そのとき王は30年続いている戦争の終結を考え始めていたことを見透かされたような気がしたが、秘密裡の工作を民部卿にまかせることにした。正直言って燕との講和が成ればどれほど助かることか。
「いつまでも戦に明け暮れているわけにもいかないからな」
「御意」
「で、百済使はいつ着くんだ」
「道々で族長たちの歓待を受け遅れておりますが後数日で来着かと」
「そうか」
燕との講和を百済に知られるわけにはいかなかった。燕は東晋の天敵だったからだ。講和工作を知っているものは高句麗のなかでもわずかでしかなかった。臣下には百済系のものも多かったからだ。晋国出自のものが多い王険城の律令官僚は地元とのしがらみの無いので外交に使いやすかった。それでも主な部族長には内々に話は通してある。講和が成った時点で百済攻めを始めるつもりだったからだ。
庭園の桃が満開だった。前線は数年前から膠着しており、ひとときの平和を王険城は楽しんでいた。市場では大きな商いがあったようで祭りのようだ。
「そう言えばお前の国から久しぶりに商隊がやってきたのじゃなかったか」
「3年ぶりにございます」
「まあここはもういいから早く行ってやれ」
「ありがとうございます」
民部卿の下がった後、高句麗王はあおむけになって天井を見つめながら物思いに沈んでいた。昔、王は神と交信できたという。自分は策略で皇子たちを出し抜いて王位を獲ただけだ。幾度も死線をくぐりながらも神々と出会ったことは一度も無かった。自分が出し抜いた皇子たちのなかに本当の王がいたのかも知れない。そう思うとおかしかった。王とはいったい何なのか。
王位をねらって策略を弄しているころから民部卿は協力者のひとりだった。しかし未だに王は清廉潔白な民部卿を信用できなかった。まあ彼は誰も信用していなかったので特に民部卿だけを疑っていたわけではないのかも知れない。春風に運ばれて桃の香が楼上までただよってきた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
なぜ古民家の間取りがみな似ているのか考えている。地域ごとに間取りは違うという議論もあろうが、それは別の話なのでひとまずおいてほしい。
その理由として最初に思いついたのは、生活スタイルが似ているからだろうということだった。生活スタイルが似ているから生活の器たる民家も似ると考えたわけだ。しかしこれには無理がある。今の民家形式が現れて約1000年、いくらなんでも生活スタイルは変わるだろう。実際、古民家は時代によって変っていく。しかし変化しながらも間取りはよく似ているのだ。
家族構成もまちまちだし、生活スタイルも人によっていろいろあったはずだ。それでもかたくなに同じような平面を守り続けるのはなぜか。それは誰が使ってもよいようになっているからではないだろうか。つまり、どんな家族構成、どんな生活スタイルであっても住居として使える汎用型平面だというわけだ。
現代は「自由な間取り」と称して好き勝手な平面を考え骨組みを後から無理やり当てはめることが多い。しかし現代の間取りも結構よく似ているのだ。不動産屋さんの掲示板を見れば、どれもこれもよく似ていることが分かるだろう。つまり、誰が買ってもそれなりに使える平面というものは必然的に似ていくのだ。
住居は本来何世代にもわたって住み続けられるものだし、伝統的な木造であれば100年は優に使える。そのためには誰でも使えるようにシンプルな間取りにしておくことは大事なことなのだろう。考えてみれば、それが一番自由なのかもしれない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
出雲大社は下のような平面をしている。こうなっている理由については諸説あるが決め手は無い。同じ大社造りである神魂(かもす)神社の平面は少し違う。神魂神社を女造り(めづくり)、出雲大社を男造り(おづくり)と言うらしい。私はこの不思議な平面の理由は「回転方向の固定」ではないかと考えている。つまり中央の柱をどちらへ回るかで陰陽を分けている。
ここで思い出すのは古事記の国生み神話だ。男神であるイザナギと女神であるイザナミが結婚するときに天の御柱をまわる。男は左側から入って右へ回る。女は右側から入って左へ回る。男造り、女造りと同じだ。
新潮版の古事記の解説によれば柱を回る習俗は穀物豊穣の予祝儀礼だという。予祝とは前祝いのことであって、あらかじめ祝うことで願いをかなえようとする祈りの形式だ。中国南部の苗族は春の祭りで柱を立て男女が回って放縦な歌を歌うという。「放縦な」というのは「性的に奔放な」という意味だろう。また東北地方において新年に夫婦が囲炉裏を回る習俗も同じ事例だという。神殿中央に柱を立てた特殊な平面は、この柱を回って結婚・出産や穀物の豊穣を願った形式の名残りではないかと考えている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
今回成立した商談は東市全体を見てもかなり大きなものだった。ワイ族のもたらしたものは北方海獣の皮革類だけではない。どういうルートがあるのかシルクロード経由の青銅製品や黄金の貴金属類もかなりあった。シルクロードを閉ざされた東晋はこうした金属製品を大量に買い付けるために王険城の市場をめざした。しかし東市の中心的な交易品目だったと言える。
大商談成立を聞きつけて市場中のものが集まってきた。交易の決済は必ず神前で行われた。臨時の祭壇が設けられ交換品目を記帳した木簡がささげられた。交換は神の立ち合いでなければ行えなかったわけだ。その後で大酒宴となった。交易当事者が市場に居合わせた全員にふるまうのだ。
ワイ族がやってきたのは数年ぶりだった。北方のワイはどんな地域なのかあまり知られていない。古式を残した習俗を守りながらも最新鋭の製鉄技術を有するという不思議な文明の持ち主だった。過去には強大な帝国だったとも言われるが、いまは辺境の部族連合でしかない。ただ馬の産地であり馬術に秀でているため騎兵戦は強かった。
神事と酒宴はワイ族の宿舎で行われた。宿舎はこうした不定期な交易や毎年の朝貢のためのキャラバンの宿舎に当てられる。東市には各地の部族国家の宿舎が建ち並んでいたが、なかでもワイ族のものはひときわ大きかった。ここは晋帝国が楽浪郡を置く以前からワイ族の出張所があった。ワイ族とダエトン族との交流はそれほど古いのである。
宿舎は竪穴式の巨大なもので幅が10メートル長さが40メートルほどあった。柱が3列並んで三角形の茅葺き屋根を支えている。一番奥に設けられた祭壇の前でワイ族の巫女たちが奉納の舞を舞っていた。王険城では巫女の伝統が絶えていたのでダエトン族たちはもの珍しそうに見ている。
巫女たちは黒衣であった。黒は大地の色であった。彼らの神は大地の女神だったのだ。黒と言っても漆黒ではなく濃いグレーで、そこへ五色の色糸で渦巻き模様が刺繍されていた。髪は結いあげてやはり同じような色の布で巻き締められていた。くつは編上げのブーツで、それで器用にくるくると回った。琵琶に似た弦楽器が鳴り響き、どことなくシルクロード風に見えた。祭場には薬草が炊かれていた。奉納舞が進むにつれて祭壇の炉に薬草がくべられる。それはオリの知っているオオヌサだった。オリはそれを眺めながら亡くなったひとりはやはりワイ族の巫女だったのだろうと思った。
ワイ族もダエトン族も案外酒に弱かった。夜も更けたころ、祭場に集まった者たちはほとんど眠りに落ちだらしなくいびきをたてていた。東市司も祭壇前の主賓席で眠りこけている。消えかけた松明の熾火に照らされ族長とオリの顔が浮かび上がる。オリは東市司と追っている事件の話をした。族長は寡黙で話が通じているのか不安だったが、話し終わって協力を依頼したとき続投はオリの顔を初めて見て深くうなずいてくれた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ネットで読んだラーメン店の起源は浅草の来々軒が明治43年、尼崎の大貫(だいかん)が大正元年となっていた(参照)。大貫は最初神戸居留地にできたという。この話の興味深い点はラーメンが都会のおしゃれなファーストフードとして登場するところだ。しかもどちらも1910年代だ。つまりそのころに関東でも関西でも都市化が進んだことを暗示している。
大貫のあった浪花町66番館は今の三宮電電ビルの南角だから居留地のどまんなかだ。当時このあたりは外国人居留地からビジネス街へと風景が変わりつつあったろう。それを当て込んでの立地だったのだろうか。ちょっとよく分からない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
友人がiPhoneの体重記録アプリを使って10キロ以上減量できたことを知った。とてもくやしいので私もやってみることにした。ヘルスケアというアプリで体重を手入力するとグラフになる。記録型ダイエットは前もやったことがあるが、こうしてすぐにグラフになるのはおもしろい。グラフが下降線を示せばもう少しがんばろうと励みになる。そうこうするうちに1ヵ月ほどになる。年末に83キロ台だったのが今は80キロ台だ。うれしいので報告しておく。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
9時間も寝ていた。火曜日に接骨院に行ってから連日よく眠る。とりとめも無い夢を見た。少し覚えているのでメモしておく。
車で鉄工所のような場所に来る。たくさんの若い男たちがいる。高校の体育の時間のような感じで作業服に着替える。鉄工所の中は天井が高くて薄暗く、床にはさまざまな機械が据えられていた。人数が多いのでなかなか全員が入れない。そのうち何かが起こって逃げ出した。大型のエレベータで上に逃げようとするがいっぱいで乗り込めない。エレベータは危ないと言いほかのものたちと外に走り出た。とくに何も起こらずみんな着替えて帰っていく。わたしは着替えが見つからず探し回る。
工場の隣に芝生の運動場がありバス乗り場があった。バスが高速で入ってきて人をひきそうになり危ないと思う。わたしの行くところはすぐ近くなので歩いていくことにする。2階建ての鉄筋コンクリートの建物がある。前庭に車寄せがあり、建物はバルコニーをめぐらせた60年代のスタイルだ。そこは学校でわたしは歴史担当の新任教師らしい。時間割の説明を受け教室へ向かうがどの部屋か分からない。時間割に教室名が書いてあったのでようやくそこへ入る。
教室は半分は事務室で、学生たちは壁際に並んで座っている。制服を着ているので高校生らしい。事務員のほかに指導の先生と牧師がいた。わたしの授業を見るためらしい。まず自己紹介した。円満字という。先祖が寺だったのでこういう名前だ。そして教科書を取り出した。和紙で作られた本だった。第1章第1節はどこかの村の経済史が書かれているようだった。読んだことが無い本だったので不安だった。「歴史は中高生用の教科書が一番おもしろくてよく分かる。大人用の本は難しいばかりで何も分からない。わたしはこの本を全部は読んでいないが一緒に読んでいきましょう」。教科書は端が切りそろえられていないのでページがめくりにくい。第1章第1節が見つからない。どうしてこんなに不便なのかと不満を言うと指導の先生がうちで作った本だと言った。それなら文句言えないなと思ったところで目が覚めた。
(夢読み)
ふたつ並べると意味がよく分かる気がする。どちらも高校生たちがたくさんいるが何も始まらないという構成だ。私がなにか始めなければならないようだが、何をすれば良いのか分からず躊躇している。迷路のような学校や薄暗い鉄工所は私の無意識を表している。「見つからない服」はわたしの夢によく出てくる。これは単純に準備不足を示すことが多い。ふたつめの夢はもう少し具体的に原因を教えてくれる。それは人に与えられた教科書では授業できないということだ。人に合わせるのもほどほどにしなさいと夢は告げているのだろう。まあ分かりやすい夢か。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
疲れていたのか15時間も寝ていた。夢をたくさん見たが断片的にしか覚えていない。夢は同じテーマを設定を変えて何度でも見せてくれるものなので、断片的でも覚えているなら意味は解けるかもしれない。
歌劇団のリハーサルを劇場でするというので行ってみる。次々と歌と踊りが繰り広げられ、自分もそれに出るらしく台本を持っているが何をしたらいいのか分からなくて眺めているだけだった。台本は長い紙の裏表に手書きされたもので小さく折りたたまれていた。
劇場の暗いエントランスホールにカウンターバーがあり出演者のスターたちと親しげに話している。
レンガ造りの女子大の前庭に友人たちといる。門柱を調べているが、根本が露出していて元の地面はもう少し高かったことが分かる。誰かが大学前の道路が拡幅したときに門を移設したと言う。そう言えば市電を通すために拡幅したことがあったと思い出した。門前に小さな池があって熱帯魚が魚が泳いでいる。ランチュウがエサをもらおうと水面に集まっている。こどもたちがそれに手を伸ばすとランチュウは口をパクパクと開いた。かまれそうだったのであわてて手をひっこめさせた。
友人たちと車で寺院の境内のようなところへ行く。芝居小屋があって勧進芝居の始まるところだった。たくさんの観客が集まって声援を送っていた。その前には土産物の販売所があって、色とりどりにいろんなものが広げてあった。こどもたちとそこを見ていた。
(夢読み)
ちょっと難しい。夢の中に自分が受け入れられないものがあるのかも知れない。
前半と後半でふたつの夢だが、どちらも舞台が出てくるのが特徴だ。舞台に自分はいないことも同じだ。その横のラウンジや土産物売り場でスターやこどもたちと過ごすというのが夢の中心テーマらしい。スターやこどもたちはわたしの創造性だろうから、一緒に過ごすことは良いことだ。夢に嫌な感じが無かったから良い夢であることも間違いない。分からないのは、なぜ劇場なのかということだけだ。
舞台に自分がいないということは自分が観客を恐れているという意味かも知れない。用意された舞台にスターやこどもたちと一緒に立てば良いと夢は言ってるのかも知れない。
ほかはよく分かる。水面や下がった地面は無意識の状態を示す。地面に隠れていた門柱の脚部や熱帯魚が見えるのは意識から無意識が見えていることを示す。熱帯魚やレンガ造りは私にとっては価値あるものだから、無意識の底から価値のあるものが見え始めていることを示すわけだ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
近畿各府県の古民家再生協会の会員交流会が彦根市高宮町の近江商人の古民家・不破邸で開かれたので参加してきた。楽しかったので内容などをメモしておく。
滋賀の会員さんからの報告発表が3つあった。最初は地元の間伐材を使った「すだれ構法」によるアーチ建築の取り組み。10年ほど続けてらっしゃって、ようやく注目されるようになってきたとか。何事も10年はがまんだと思った。富山で燻蒸乾燥をしたというのが興味深かった。60度くらいの低温で乾燥させるらしい。通常の強制乾燥よりも芯割れが少ないらしい。ふたつめは動的耐震診断法の紹介で、これは以前から聞かされている内容の確認だった。
3つめは地元の間伐材を使った薪販売の報告。7年前に自宅に薪ストーブを入れたとき薪不足を知り、薪販売のベンチャーを始めたという。牧草用のビニルシートパッケージの機械を導入して新しい乾燥法を開発したり、アメリカ製の薪割木を買ったりと工夫を重ねながら次第に事業が軌道に乗るようすが興味深かった。薪の種類によって火持ちや灰の量が違うことや、乾燥方法によって乾き方や虫の付き方が変わるという話もおもしろかった。木材は建築専用だと思いがちだが、燃料としての使いかたも忘れてはならないだろう。
懇親会は本膳料理の膳組指導だった。古民家は冠婚葬祭ができるようになっているが、会場の不破邸も3座敷をつなげると相当広い宴会場になる。そこへ並べる本式のお膳を見本を見ながらみんなで並べた。本式なので本膳のほかに二の膳も付いた。おそらくそれはお土産用なのではないかと思った。
膳組指導は滋賀の理事長の大森棟梁の発案だそうだ。住文化と食文化のつながりがよく分かる楽しい企画だった。大森さん、滋賀のみなさん、ありがとうございました。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
久しぶりに前を通ったらきれいさっぱり無くなっていた。古い洋館だったのだが誰にも調べられることもなく無くなってしまったことが残念だ。きれいに修理してやれば名所になったろうに。
以前の報告 http://www.tukitanu.net/2012/06/post-27b1.html
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
模型づくりについてメモしておく。
まず図面を用意する。本を買ったりネットで探した。19世紀後半に修復建築家コロワイエの作った彩色図面が一番よく分かった。コロワイエ先生ありがとう。もし彼の図面を全部見ることができれば理解は格段に進むだろう。とりあえず分かる範囲で作ってみる。入手図面は縮尺が分からなかったので模型も縮尺なしだ。平面を描きあげるのに3時間。
等高線入りの平面図が無いので、立面図や断面図の資料を検討して等高線を入れた。その過程でいろんなことが分かった。もともとの頂上は塔の真下らしい。そこを1階床の高さにして修道院を作っている。だから修道院の端へ行くほど地下室が大きくなる。中庭部分の下には2層分の半地下室がある。高さ関係を分析して等高線を入れるのに3時間。
等高線入り平面図のコピーを段ボールに貼ってハサミとカッターで切り抜く。もっとも外側の等高線を切り抜く。切り抜かれたコピーをもう一度段ボールに貼って次の等高線を切り抜く。こうすれば1枚のコピーで全部の等高線を切り抜くことができる。切り抜くのに1時間。
粘土は手許にあった油粘土を使った。本当は紙粘土を使いたかったが、油粘土だと翌日でも修正がきくので、これで良かったかも知れない。後で油粘土部分を白く着色したいと思っている。粘土細工に2時間くらい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
年末にとある講習会のネット申し込みをした。年が明けても返信メールが来ないので問い合わせてみた。
「お調べいたしますので少々お待ち願えますか」
講習元は東京虎ノ門にある国交省の外郭団体だ。電話に出た女性は折り目正しい。こうしたクレームには慣れているのだろう。電話のむこうは広いオフィスのようで飛び交う声が聞こえる。問い合わせ専門のオペレータールームかも知れない。いずれにしても年明け早々からご苦労なことだ。さほど待たせることもなく回答がきた。
「お申込みいただきましたが、残念ながらご記入漏れがあったため受理されずにいたようです。改めて申込書をご郵送いただけますか?」
ネット申し込みだと受講料の振込手数料が不要だったのだが郵送だと手数料がかかる。でも仕方がない。
「申込書に同封いただく書類がございます」
今から申し込んでも間に合うならありがたいことだ。今日の午後は授業があるのでさっさと郵送してしまおう。
「まず建築士免許証の写し。次に運転免許証か健康保険証などご本人の確認のできるものの写しです」
これはちょっと変ではないか。建築士限定の講習会だから建築士免許証を見せるのは分かる。でもなぜその他に本人確認の書類が必要なのか。建築士免許証は国の発行したものだから、それで本人確認になるのではないのか。まあ時間もないので素直に従う。
「受講料の振込明細の写しは申込書に貼ってください。あと建築士登録証明証も同封してください。」
建築士登録証明書。これは聞いたことが無かった。建築士会連合会が発行しているという。そもそも登録したから免許証が交付されているのだ。その上なぜそれを証明する書類が必要なのか。もちろん登録後に無効となった免許証もあるだろう。でもそれは台帳照合すればすぐ分かることだ。照合は受講者ではなく講習元の仕事なのではないか。そう思ったが言っても仕方がないので連合会に電話した。
連合会は芝の建築会館にある。こちらも朝から忙しそうだ。電話の向こうからざわつく音が聞こえる。今度も電話に出た女性はよどみなく説明してくれた。
「証明書を発行するには申込書をご郵送いただく必要があります」
また申込書か。しかも郵送となると証明書が届くまで時間がかかるだろう。この書類だけ後で送るしかあるまい。
「申込書に添付いただく書類がございますので申し上げます」
また添付書類だ。やっかい極まりない。でも今は時間がないし書類をコピーするだけならすぐ済むさ。
「まず建築士免許証の写し、次にご本人が確認できる運転免許証などの写しです。」
まったく同じじゃないか! 建築士免許証があるのだから運転免許はいらないんじゃないのか。でももう何も思うまい。
「最後に手数料400円を定額小為替にして同封してください」
手数料! 手数料がかかるのか! 申込みに手数がかかるのはこっちではないのか! そう思ったが、連合会のような行政系の外郭団体は手数料収入がないと立ち行かないのだろう。それが分かっているので不服は言うまい。それより定額小為替(ていがくこがわせ)というものを初めて聞いた。郵便局へ行けばなんとかなるか。とりあえず受講料を振り込まねばなるまい。わたしは申込書を書き上げると受講料を握って家を出た。
それまでコンビニで振り込みができると思っていた。どうもおかしいと気づいたのはATMの前に立ったときだ。画面には「引出し」と「預入れ」のふたつの項目しかないのだ。なによりまずカードを入れねばATMが動かない。一体どうすれば良いのか。わたしは現金を握りしめたまま呆然とした。
ーああそうか、現金をいったん自分の口座に入れてそれからカードで講習元へ振り込めば良いのか
後で分かることだが、この方法では入金できない。それでもそのときわたしは我ながら頭がいいと思った。なぜそんな間違いをしたのか。急いでいたからかも知れないが、もし急いでいなくても同じことをやったように思う。ようするに申込みとか入金という社会的な基本動作がちゃんとできないのだ。入金を選ぶと画面が変わった。
「この時間帯の手数料は108円です」
ああここも手数料だ。自分の口座に入金するのになぜ手数料が必要なのだ。しかも機械操作は利用者側の手間ではないのか。でも銀行も手数料がなければ成り立たないのだろう。
預入はすんなりできたが、あいかわらず画面は「引出し」と「預入れ」しかない。当たり前だ。コンビニATMはある種の口座からしか振込できないのだ。ここまできて私はようやく自分が間違っていたことに気づいた。コンビニからではどうやっても送金はできない。銀行のATMに行くしか方法は無かいのだ。ああ!手数料108円を無駄に支払ってしまったじゃないか。
銀行のATMは学校の近くにあった。意外と空いていたのですぐに送金できた。最初からこうしておけばよかったわけだ。
「この時間帯の手数料は324円です」
さっきより高いよ! でもまあこれで間に合うなら文句は言うまい。コンビニでATM明細のコピーを取り、それを申込書に貼ってポストに入れた。やれやれこれでひとつできあがりだ。後は登録証明書の申込書を送れば今年の初仕事は完了となる。そのためには定額小為替とやらを作らねばならない。
郵便局は暖房が暑すぎた。でもすぐに済ませたいのでマフラーも解かずにカウンターの前に突っ立っていた。順番はひとり待ちだし係りは二人いたからすぐ済むと思ったのだ。でも結局15分待つことになった。ようやく順番がまわってきたときよほど怖い顔をしていたのだろう。若い郵便局員が声を震わせながら応対した。
「た、たいへん長らく、お、お待たせしました」
「定額小為替、400円だ」
「そ、それでしたら、この申込書にご記入ください」
また申込書か! 眉間にしわを寄せながら差し出された書類に住所氏名電話番号を記入する。わたしは住所も氏名も長いので書くのに時間がかかる。しかも老眼で手許がよく見えない。暑さで頭がくらくらする。それでもじっとがまんして書き上げた。
「で、では、ご、ご本人の確認できるもののご提示をお願いします」
また本人確認か! 金を払うのになぜ本人確認が必要なのか! いまいましく思いながら免許証を取り出そうとする。焦っているのでなかなかカードケースから出てこない。ようやく取り出せて提示する。
「あ、ありがとうございます」
局員はペコペコ頭を下げながら申し訳なさそうに言葉を継いだ。
「そ、それでは手数料を100円頂戴いたします」
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
支多ゝ(したた)川沿いに降りていくと、宅地開発に取り残されたような緑の斜面があった。冬枯れの樹木は桜かも知れない。ほわほわと薄白い枝が地衣類の濃い緑に浮き上がっていた。そのなかに柿の木があって鮮やかな朱色から目が離せなくなって描いてやった。ハガキサイズだと絵が小さい過ぎて柿の実まで描けない。最近ためし描きしている万年筆がインクが出なかったので、仕方なく予備の0.3ミリのグラフィックペンを使った。画面もハガキサイズではなくF4くらいで描きたいと思った。こういう風景画は昨年知った大阪府枚方市の画家・榮永大治良のまねっこである。もっとよくまねしたい。
榮永大治良展 http://www.city.hirakata.osaka.jp/uploaded/attachment/41973.pdf
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
年頭所感
ことしの年賀状は昨年スケッチ教室で描いたホタルイカとした。スケッチ教室は暑いときと寒いときは教室の向いのスーパーで描くものをそれぞれ買って、描いた後で食べることにしている。神楽坂のスケッチ教室のまねっこなのだが、とても楽しい。ホタルイカもおいしかった。
昨年の年頭所感を読み返したところ「水泳再開」「オープンアトリエ」「京都建築探偵塾」「古民家再生」の4つを掲げていた。できたのは「オープンアトリエ」と「探偵塾」なので達成率は半々だ。今年も4つ挙げるとすれば何になるだろう。
ダイエット 肥満によって好きな酒も飲めなくなってきた。なぜ飲めなくなるのかよく分からないが以前もそうだった。現在83キロだが、やはり10キロは落とさないとだめらしい。とりあえず正月からiPhoneの健康アプリに体重と血圧の記録を始めた。友人の悪いきつねさんが、これで10キロ以上痩せたらしい。にくたらしい。
オープンアトリエに自作キッチンを
自宅の改装は床の板張りや壁の珪藻土塗りが終わったので、いよいよ壁面棚とキッチンにとりかかる。その前にやりかけのウッドデッキを仕上げねばならない。どこまでできるか分からないが楽しく作っていきたい。
風水研究
昨年は初めて風水研究の成果を発表することができた。これをまとめて出版の道を探るか、当分はどこかの学会に属して発表を続けるか考えあぐねている。まあすぐに出版できるわけでもないから両方の道を探るのが良いだろう。ただし「赤穂浪士はなぜ47人なのか」というような研究をどこの学会に発表すればよいのか分からない。やはりフォークロア系だろうか。
スケッチ個展
以前からスケッチを売ってほしいと言われたことはあるが、実際に売ったことはほとんど無い。スケッチは自分の分身のようなもので、それを手放すことへの抵抗感があった。最近ようやく売ってもいいかと思い始めている。今秋あたりに京都で個展を開くつもりだ。お楽しみに。
まあこんなところか。健康・家庭・研究・表現ときれいに4つに分かれている。こうした年頭所感もすぐ忘れてしまうのだろう。今年1年もフワフワとだらしなく過ごしたい。よろしく。
2013.1.13/ワトソン紙(ハガキサイズ)、4Bホルダー、透明水彩/ホタルイカ
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
これも私好みの話だった。状況が変わることによって凡才が天才に変る物語だ。アニメで興味をもって原作を読んでみたらもっとおもしろかった。舞台の池袋かいわいの日常風景が秀逸だ。アニメでもそうだが、背景がしっかりしているほうが私は好きだ。9巻もあるがすぐ読み切ってしまった。続刊を希望するが無理だろうから1巻から読み直している。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
冒険小説である。村上龍は初めて読んだがおもしろかった。上下に分かれて長編の部類だろうが、ライトノベル並みにどんどん読める。何がおもしろいかと言うと、世の中から役に立たないとレッテルを貼られた少年たちが世の中がひっくりかえる危機に直面して誰も動けなくなったときに大活躍するところだ。本人たちは変っていないのだけれど、社会状況が変わることで天才として立ち顕れる。この逆転が胸をすくように気持ちがよい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント