夢日記 150121
疲れていたのか15時間も寝ていた。夢をたくさん見たが断片的にしか覚えていない。夢は同じテーマを設定を変えて何度でも見せてくれるものなので、断片的でも覚えているなら意味は解けるかもしれない。
歌劇団のリハーサルを劇場でするというので行ってみる。次々と歌と踊りが繰り広げられ、自分もそれに出るらしく台本を持っているが何をしたらいいのか分からなくて眺めているだけだった。台本は長い紙の裏表に手書きされたもので小さく折りたたまれていた。
劇場の暗いエントランスホールにカウンターバーがあり出演者のスターたちと親しげに話している。
レンガ造りの女子大の前庭に友人たちといる。門柱を調べているが、根本が露出していて元の地面はもう少し高かったことが分かる。誰かが大学前の道路が拡幅したときに門を移設したと言う。そう言えば市電を通すために拡幅したことがあったと思い出した。門前に小さな池があって熱帯魚が魚が泳いでいる。ランチュウがエサをもらおうと水面に集まっている。こどもたちがそれに手を伸ばすとランチュウは口をパクパクと開いた。かまれそうだったのであわてて手をひっこめさせた。
友人たちと車で寺院の境内のようなところへ行く。芝居小屋があって勧進芝居の始まるところだった。たくさんの観客が集まって声援を送っていた。その前には土産物の販売所があって、色とりどりにいろんなものが広げてあった。こどもたちとそこを見ていた。
(夢読み)
ちょっと難しい。夢の中に自分が受け入れられないものがあるのかも知れない。
前半と後半でふたつの夢だが、どちらも舞台が出てくるのが特徴だ。舞台に自分はいないことも同じだ。その横のラウンジや土産物売り場でスターやこどもたちと過ごすというのが夢の中心テーマらしい。スターやこどもたちはわたしの創造性だろうから、一緒に過ごすことは良いことだ。夢に嫌な感じが無かったから良い夢であることも間違いない。分からないのは、なぜ劇場なのかということだけだ。
舞台に自分がいないということは自分が観客を恐れているという意味かも知れない。用意された舞台にスターやこどもたちと一緒に立てば良いと夢は言ってるのかも知れない。
ほかはよく分かる。水面や下がった地面は無意識の状態を示す。地面に隠れていた門柱の脚部や熱帯魚が見えるのは意識から無意識が見えていることを示す。熱帯魚やレンガ造りは私にとっては価値あるものだから、無意識の底から価値のあるものが見え始めていることを示すわけだ。
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