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2014年10月

2014年10月30日 (木)

中国旅行記(5)市内観光・胡雪巌故居(旧胡雪巌邸)

 建築の話のつづきをしよう。

 河房街の郊外、五重塔の隣に胡雪巌(こせつがん)故居という19世紀末の大商人の邸宅が残っている。河房街の薬市場は彼が建てたものだそうだ。きれいに修復されていた。柱はほぼすべて根継がされていた。根継の位置は柱によってまちまちだが、おおむね人の背よりも高かったので相当傷んでいたのだろう。継ぎ方は追っかけ大栓継ぎだった。

 建物は河房街の町家と同じ構造で高い塀と木造家屋の組み合わせだ。少し違うのは、60メートル四方ほどの屋敷地が弁当箱のマス目のように高い塀でいくつにも仕切られていることだ。マス目の半分ほどが家屋となり残りが庭となっている。マス目が迷路のようにつながっていて進むにつれて違う表情の庭が現れるのでワクワクした。現代建築より市内観光を選んで良かった。


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2014.10.17


 もっとも奥に太湖石(たいこせき)を使った庭園があった。太湖の底には巨大な洞窟があって龍脈に通じていると考えられていた。そこで採れる太湖石は穴がたくさん開いた石灰岩だが、その穴が洞窟に見えることから石そのものも龍穴のパワーを秘めているとして珍重された。その石をふんだんに使って洞窟のある岩山を作っている。ようするにこの庭が龍脈に通じるパワースポットであることを示しているわけだ。

 この屋敷はこの庭を核として作られており、そこから各マス目に気が流れていくように仕組まれているように見える。屋敷を囲む高い塀は機能的には防火壁なのだろうが、気を散らさないための風水装置なのかも知れない。


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池に面して太湖石の岩山が作られている

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ヨーロッパのグロッタ(洞窟庭園)を思い出させる


 調理場が復元されていたのが興味深かった。かまどは日本のものとよく似ているが、焚口の上についたて状の壁が立っていた。天井が高く煙抜きは無かった。水屋が3本と調理台があった。井戸は前庭の隅にあった。


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かまどの前と後ろ

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調理場全景と水屋


 あといくつかおもしろいと思ったことをメモしておこう。

 坪庭の多くが石張りになっていて雨水を溜めるプールになっている。まるでアルハンブラ宮殿のようだ。


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一段下がったところに水が溜まる仕組みだ


 ガラスは透明と青色の2種の組み合わせだ。ガラスには模様が描き込まれていた。ガラスのペインティングも結構おもしろい。青は龍を示す色だから使っているのだろう。


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 陶器製の手すりがあった。竹を模しており、これも青色だ。白黒の玉石を使ったペーヴメントも美しかった。


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 客用スペースの壁はほとんど青緑色の凝灰岩のような石が使われていた。これも有名な石なのだろうと思う。張り方をいろいろ工夫していて、それを見て歩くだけでも楽しかった。


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中国旅行記(4)市内観光・河坊街(カボウガイ)

 建築についても書いておきたい。

 西湖の東に歴史街区の河坊街(カボウガイ)がある。大運河と西湖との接点に位置する交易都市だ。わたしは杭州は塩貿易の拠点だったのではないかと思う。元は幅10メートルほどのメインストリートのまんなかを運河が流れていたようにわたしには見える。今はテーマパークみたいになっているが立ち並ぶ町家はほとんどが古いのものだったのでうれしい。元平家建てだったものを19世紀末から1920年代のあいだに総2階に改造されたように見える。このころに平屋だった町家が2階建てに入れ替わるのは京都と同じだ。


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2014.10.17、中国杭州河坊街


 ていねいに修理されていて構造がよく分かる。隣地境界にレンガの壁を立てその内側に玉石を置き柱を立てて家を建てている。中国民家はレンガ造りだという先入観があったが杭州の古い建築はどれも木造だった。2階の胴差しを通し柱にほぞ差しにして込み栓で留めている。日本と同じだと思ったが、いやいやこっちこそ本場だと思いなおした。込み栓は日本のように切らずに長いままにしてあるのがおもしろい。


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 通りに面してはほぼ開口部で、特に2階に意匠性はすばらしい。飾り手すりと飾り桟のガラス窓で構成されており、わたしは19世紀末のニューオリンズの街並みを連想した。


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河坊街の薬屋


 メインストリートから魅力的な路地が広がっておりいつまでもスケッチしていたかった。自由時間が1時間しか無かったので1枚だけ描いた(参照)。15分ほどのスケッチだが何人も見に来た。見られると緊張もするがうれしい。あとで市内観光組の学生さんたちに見せたらみんな尊敬してくれた。芸は身を助けるというが芸は旅を助けるのかも知れない。


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 路地には境界壁が面しているから、ここだけ見ればレンガ造りみたいに見えるが先述したようにそうではない。壁はレンガもあったが、基本的には磚(セン)のようだ。磚とは瓦の一種である。この路地の磚はレンガの寸法をしていたので19世紀以降のものだろう。


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境界壁はレンガではなくレンガ型の磚(セン)だった


 メインストリートの中ほどに巨大な壁面があって、てっきり劇場だと思ったがこれは薬市場だそうだ。河坊街は漢方で有名な都市だそうだ。白蛇伝に薬草が出てくるのはこの町の主産業と関連していたわけだ。

 近代建築も5~5棟見かけたが、いずれも木造の表だけモルタル壁にした看板建築だった。日本の看板建築と意匠的に共通するものがあり興味深い。


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右)薬市場の入り口はメインストリートと直交する旧街道に面している

 
 魅力的なカーブを描く旧街道に吸い込まれるようにして曲がっていくと鼓楼と五重の塔の前に出た。ここが河坊街の入り口らしい。どちらも復元再建されたものだがよく風景になじんでいる。どちらも木造部分に関しては伝統木構造で造られていた。なかなかいい感じだ。雷峰塔もそうだったが中国の復元技術のレベルは高いと思う。


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鼓楼、2002年復元


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鼓楼の外にある五重の塔

 

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稲刈りワークショップ

 炭山の会のメンバーが取り組んでいる水田の稲刈りに参加してきた。水田はほぼ毎日のように水を入れたり抜いたり調整をしてきたそうだ。そうやって大切に育てていたが、途中でイノシシの親子が棲みついて相当食べられてしまったらしい。イノシシは米を喰うのだ。せっかく実っていながら泥中に落ちている稲穂がたくさんあったが、それがイノシシの仕業らしい。そんなこともあって決して豊作ではなかった。でも自分たちが手で植えた稲がここまで育ったかと思うと感慨深いものがあった。稲刈りは生まれてはじめてだったが、お天気もよくとても楽しく過ごすことができた。ありがとうございました。


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2014.10.26、京都府宇治市炭山


 刈り取った稲穂は束に結んでハザに掛けて天日干しにする。ハザは古民家再生協会メンバーの大工さんの高田さんたちが竹で組んでくれた。


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ハザ掛け、2週から1か月ほど天日に干す


 こどもたちが竹を使って基地を作っていた。ハザは最初の古民家の形式だという説があるが、それを現実化しているわけだ。とてもおもしろい。古民家再生協会でもやってみたい。


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こどもたちが勝手に作った秘密基地、最初の民家の形式と同じ


 おみやげに枝豆をいっぱいいただいた。さっそく塩ゆでにした。とてもおいしかった。次の脱穀もぜひ参加したい。


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黒豆枝豆

 

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2014年10月29日 (水)

建築探偵の写真帳 神戸そごうのステンドグラス

 神戸に行くと必ず見に行く。きれいになっていてとてもうれしい。窓はふさがれていて光が入らないのが残念だ。まあ避難階段の開口部制限だと思うが、工夫すればなんとかなるようにも思う。光を入れてやりたい。100歩譲って照明内臓でもよい。


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1933年竣工、阪神電鉄三宮駅ビル

 

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建築探偵の写真帳 戦後ビル編 枚方信用金庫本店

 枚方市駅前にある。丸みを帯びた軒先や穴開きブロックの使い方がコルビュジェを思わせて楽しい。枚方は戦後ビルの宝庫だな。

 

 

Img_3168 1966年竣工

 

 

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建築探偵の写真帳 メイシアター

 吹田で途中下車したのでメイシアターも見ておいた。思っていた以上にワクワクした。1階を半地下にして2階をメインの入り口にしたデザインは秀逸だと思う。緑地に面した東側回廊も素敵だ。玄関ホールの吹き抜けまわりも伸び伸びとして気持ちがよい。

 

 

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Img_3209 1985年竣工、東畑建築事務所設計

 

 

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ハルカスきれい

 青空が写り込んでとてもきれいだ。超高層はあまり好きでないが、ハルカスのデザインはよくできていると私は思う。

 

 

Img_3173 阿倍野ハルカス、2014年全面開業、シーザー・ペリ監修竹中工務店設計、竹中を中心とした企業共同体施工

 

 

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2014年10月28日 (火)

建築探偵の写真帳 戦後ビル編 旧関西電力吹田営業所

 阪急電車が吹田駅を通過するときにチラッと見えて気になっていた建物を見てきた。なかなか手堅いデザインでいい感じだ。クリンカータイルの使いかたから1968年前後の作品に見える。今は空き家だった。

 

 

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絵葉書もらった

わたしも自分の描いたものを4枚頂戴した。とてもうれしい。ありがとう。
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絵葉書無料配布中

ええはがきコンテストの入賞作品の一部を絵葉書にして無料で配っている。ひとり4枚まで。阪急梅田の紀伊国屋書店前。数に限りあり。急げ!
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2014年10月26日 (日)

稲刈り中

稲刈り真っ最中。
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2014年10月25日 (土)

百済王神社

まるでトトロの森のよう。駅前から5分でこんな風景があるとは知らなかった。きょうのスケッチ教室はここで描いた。
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阪急ええはがきコンテスト入賞した

 阪急ええはがきコンテストで審査員賞をいただいた。ありがとうございます。梅田の紀伊国屋前広場に展示され「ええはがき」も配布するらしい。数量限定なので急げ!

 展示期間 10月25日(土)~11月9日(日)
 入賞作品 http://www.hankyu.co.jp/eehagaki/eehagaki2014/prize/index.html

 

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2014年10月22日 (水)

「こうちゃん」の親子丼

久しぶりに「こうちゃん」の親子丼。ショウガが効いていてうまい。
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京都、阪急西院、折鶴会館

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2014年10月20日 (月)

中国旅行記(3)市内観光・西湖めぐり

 シンポジウム3日目は見学会だった。現代建築コースと市内観光のふたつが用意されていた。わたしは迷わず市内観光を選んだ。ともかく古いものを見たかったからだ。現代建築組はバス3台で意気揚々と出発していった。我々のコースはバス1台に11名だった。少人数だったので他国の人と交流ができた。まさか外国の人と話ができるとは思っていなかったのでうれしかった。

 午前中は中国随一の観光地にして世界遺産2011年登録の西湖周辺をまわった。これがとてもおもしろかったのでメモしておく。

 湖には小型の屋形船から竜をかたどった大型遊覧船までさまざまな船が行きかっていた。私たちは北岸から入ったが、そのあたりには20世紀初頭と思われる洋館が立ち並んでいた。そこから南岸まで天橋立そっくりの湖上の遊歩道がつないでいる。ああこれは天橋立と同じような信仰があったのだろうと思ってわくわくした。

 西湖の地形は「一山三堤三島五湖」と呼ばれるらしい。一山は自然の島である孤山、三堤は今述べた湖上道路、三島も人工島の3つ、五湖は西湖も含めて5つの湖があるという意味らしい。三堤は人工堤だというが、おそらく元々は自然の砂州が道路状に伸びていたのを整備したものだろう。

 我々は西湖北岸の孤山付近の船着場から40人乗りほどの遊覧船で南岸をめざした。この日は霧が出ており風景がかすんでとても不思議な感じがした。湖上は少し寒かった。デッキのベンチにあぐらをかいて呆然と風景を眺めているとき筑波大の留学生ハン君が話しかけてくれた。これをきかっけに参加者と話すことができるようになった。ハン君ありがとう。

 ここが有名なのは中国4大説話と言われる白蛇伝の舞台だからだ。私は全く知らなかったがハン君が白いヘビの物語があると教えてくれた。帰って調べてみるとこんな話だった。

 白蛇とその伴の青蛇が人間になって西湖へやってきた。白蛇は薬を商う若い男と恋に落ち結婚する。しかしとある坊さんが白蛇の正体に気づき男に告げる。男は半信半疑ながら飲めば正体を現すという酒を白蛇に飲ませたところ、坊さんのいう通り白蛇に変化したので驚いて死んでしまう。白蛇は崑崙山へ行き特別な薬草を奪ってきて男を蘇生させた。その後ふたりは幸せに暮らしていたが、白蛇を退治すべしと考えた坊さんが男を寺に連れ去ってしまう。白蛇はみもごっていたが男を連れ戻すため寺を水攻めにした。しかし戦に負け箱に詰められて雷峰塔の下に閉じ込められてしまった。白蛇は封じられる直前に男と再会することができ、そこで男児を出産した。西湖の水が干上がり雷峰塔が倒れるまでは封じ込まれているという。

 船は三島を次々と通過した。最後の小瀛洲(ショウエイシュウ)が最も不思議なかたちをしていた。地図で見ると湖上道路を田の字プランにまとめた人工島らしい。その南側に有名な「三潭印月(サンタンインゲツ)」がある。3つの灯籠が湖上に建っており、ハン君の話によればここで月を見るらしい。私はそこが龍穴なのだと思った。雷峰塔の「雷」は龍のことだし、この湖の底に竜宮があって白蛇はそこに棲む龍女なのだろう。湖上から見る塔は霧にかすんでとてもきれいだった。

 我々は南岸の雷峰塔のほとりで上陸した。雷峰塔は王子誕生を祝って977年に建てられたという。この塔は1924年に倒壊し現在のものは2002年の再建だ。世界遺産登録へ向けての環境整備の一環であろう。現在の塔は元の倍の高さがあるように見える。エレベータで昇る展望台になっており宗教色は無かった。八角五重の塔だが、階上でiPhoneのコンパスアプリを起動してみると方位がずれていた。方位なんて何とも思っていないのだろう。

 この塔が八角形なのは。8が誕生を意味する木気の数字だからだろう。木気は3、8、11が象徴するが、龍穴の灯籠が3なのも木気を示すと思われる。3は生数と言って生まれたての木気だ。まだ生まれたてなので完全ではない。3は土気の5が加えられて完全な木気8となる。では5はどこにあるのか。3つの灯籠が指し示す方角は南南西だ。これは最大の土気の方角なのだ。

 これも帰ってから分かったことだが、月を見るのは仲秋8月のことらしい。仲秋の名月は最強の金気だ。深夜3つの灯籠にともされた火は湖水に映って6つに見えるだろう。6は水気の完全数である。このとき金と土と水とが揃う。これは五行説の「金生水」を応用した子安と再生の呪術だと思う。龍女の8に対して最大の水気をお供えすることで誕生と再生への祈りをささげる聖地を用意するのだ。考えてみれば西湖を構成する「一山三堤三島五湖」も、水気の生数1と木気の生数3と土気5の組み合わせなのだ。雷峰塔は5重であることも土気を象徴している。

 わたしはここで室生寺の塔を思い出す(参照)。この塔にも龍が封じられていた。その後背地には賽の河原が広がる。誕生せずに亡くなった命を水子と呼ぶのは誕生を用意する水の状態のままだという意味ではないか。三途の河原で子が積む石は本当は土気を示すレンガで、それが5つ積みあがったとき生数の1から6へ昇格し木気を生み出す力が発動するのだろう。

 ちなみに白蛇の白は一白水星の水気を象徴し、青蛇の青は三碧木星の木気を示す。白青の組み合わせで水生木の関係を示しているようだ。三碧木星は洛書の雷に当たることも辻褄が合う。今回の読み解きは結構分かりやすかった。よい旅ができたことと、現地で親しくしてくれた友人たちに感謝する。


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西湖から望む雷峰塔

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龍穴と思われる小瀛洲(ショウエイシュウ)

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雷峰塔

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元の雷峰塔の遺跡

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雷峰塔から眺めた西湖、奥に湖上道路、左に小瀛洲(ショウエイシュウ)の半分が写っている。

 

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中国杭州、小河直街

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2014.10.18、ハガキスケッチ、4Bホルダー・モンバルキャミソン紙・透明水彩


 帰国の飛行機のチェックインまで半日あったので、行きたいと思っていた水郷集落へ行ってみた。ここもれっきとした古い町並みでとても良かった。テーマパークにはなっておらず、ちゃんと人が住んでいるところが良い。小川に面して井戸のある広場があり、そのベンチに座って半時間ほどゆっくり描いていた。ここが一番人が集まった。私の筆使いを見ながら楽しそうに批評している。犬がずっと鳴いていた。

 

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中国杭州、河坊街

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2014.10.17、ハガキスケッチ、4Bホルダー・モンバルキャンソン紙・透明水彩


 市内観光の最後に1時間の自由時間があった。15分ほど描いている内にも何人も覗きこんでいった。日本だとそんな風に覗き込む人は少ないのでおもしろいと思った。テーマパークのようになっているが、街並みは20世紀前半に見える古いものだった。街の中央を運河が流れていたように見える。その運河沿いのメインストリートに南北の旧街道が直交するのが町の構造だろう。魅力的な路地が多く、どこをとっても絵になる。敷地をレンガの塀で囲い、その中に木造で建てるのが基本形だ。梁は柱にほぞ差し込み栓留めとなっており日本と同じだと思ったが、よく考えればこちらが本家だった。古いものは平家なので、それが20世紀になってから総2階建てに変ったのだろう。

 

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中国杭州、雷峰塔

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2014.10.17、ハガキスケッチ、4Bホルダー・モンバルキャンソン紙・透明水彩


 市内観光で立ち寄った。集合まで時間があったので描いてみた。描いている内に何人も覗きにきたのがおもしろかった。977年に建てられた元の塔は1924年に倒壊し、これは2002年に再建されたもの。鉄骨鉄筋コンクリート造りに見える。地下に壊れた元の塔がそのまま保存されており圧巻だった。元の塔は中央を日干し煉瓦で積み、周囲を木造で庇をかけていたようだ。

 

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中国旅行記(2)アジア建築交流国際シンポジウム2014報告

 中国杭州で開かれたアジア建築交流国際シンポジウム2014の印象についてメモしておく。

 このシンポジウムは日中韓の建築学会が2年に一度共同で開くもので交流を目的としている。参加資格に制限が無いためアジア各国の学生や留学生が自由に発表する場所になっている。初日は基調講演と特別発表、2日目にジャンルごとに分かれた分科会で各自が発表した。発表論文の投稿は300名ほどあり、そのなかで実際に発表したのは250名くらいだったと思う。

 
 < 基調講演 >
 基調講演は日中韓一人ずつだったが、それぞれのお国事情が言外に伝わって興味深かった。

 中国は西洋建築模倣の時代は終わり、これからは建築の東洋化が必要だと説いた。さまざまな現代若手作家の作品を紹介しながら、そこに応用されているのは古い風水の思想だという。これまで中国でタブー視されてきた道教的儒教的な用語が解禁されていることに少なからず驚いた。地勢を読み気の流れを見通して景観や環境に応じた建築を作るという。紹介される作品は花の形をしていたり山や岩の姿をかたどったりしていた。おもしろいものもあったが、総じて巨大建築が多く風水思想とは無縁だと感じた。

 韓国は最近の傾向として風水理論を応用した住宅地計画をいくつか紹介してくれた。どうやら「風水」はアジア全体の流行りらしい。等高線に沿った穴居住宅風のものなどおもしろかった。でもやはり気の流れや自然との一致をうたうには無理がある。両国の関心は風水理論そのものにはなく、風水は造形のためのヒント程度でしかないようだ。風水が一時的なブームに終わりそうなことに私は不満をいだいた。

 日本の講演は早稲田大学の中川武先生だった。講演中は内容が理解できなかったが帰ってレジュメを読んでみて少し分かった。わたしなりに意訳するとこうだ。建築は新しい技術の導入によって変化するのではない。文化的な変化が建築を変化させる。さらに建築の変化が文化の変化に先行して現れることもある。新しい建築は作ろうとして作れるものではないが、異質なものをくっつけ合わせる努力をしているうちに何かが生まれてくる。こんな感じの話だったようだ。
 読み返してみると一番まっとうな議論だと思うが会場ではまったく受けなかった。中国韓国の関心事とは真逆の議論だったからだろう。中国韓国の関心の的は経済の拡大に直結するものに集中しているように見える。ひるがえって日本は経済効果には冷淡で、だからと言って他に夢中になるものもない状態に見えた。私は経済効率の追求も悪くはないと思っている。決して学術的とは言えないが、経済性や効率化を追求する姿勢には今の日本には失われたある種の真剣さがある。

 < 特別発表 >
 特別発表は建築系と技術系のふたつに分かれた。わたしは技術系に参加した。そのほうが各国の現状がよく分かると思ったからだ。各国ふたりづつの発表だった。

 中国は超高層と地下鉄に関する発表だった。やはり中国は「より大きく、より高く、より早く」がテーマのようだ。60年代の日本と同じだ。

 韓国は省エネと構造ソフトの紹介だった。この構造ソフトを使えば鉄骨の量を15%まで削減することができるという。韓国のテーマは効率化と国際競争力の強化らしい。

 日本は防災だった。発表自体はおもしろかったがやはり他国のような勢いはなかった。他国はさかんに中東の超高層ビルや巨大プロジェクトを派手に紹介する。その点日本の発表は地味だった。なぜならそこに競争が無いからだ。わたしはたとえ防災がテーマだとしても競争があってよいと思う。けれど今の日本にそれはなく、なんとなくあきらめたような静けさと息苦しさがある。

 < 分科会 >
 分科会は建築計画や技術系などいくつかに分かれた。私は歴史・建築論の部屋だった。30名ほどの投稿があり当日欠席者が5名ほどあった。他室へ行くのも面倒なので私はずっとこの部屋で発表を聴いていた。分科会の日本人率は30%ほどと高かった。残りの30%も日本の大学の留学生たちだった。歴史系で日本人と日本留学生の発表が多い現象もシンポジウムの性格をよく表しているだろう。勢いのある他の分科会とは違って、どこか浮世離れしたこの部屋の雰囲気を私は気に入った。

 中国は保存事例や保存建築物のリストアップの報告が目立った。保存は都市計画の観光部門として認められているようだった。韓国はランドスケープ研究が印象深かった。景観誘導のための基準づくりに興味があるようだった。日本はバラバラで傾向はなかった。これも日本らしい。ちなみに私のような風水理論の研究は皆無だったが、ちゃんと質問ももらえてうれしかった。分科会は3名が交代で議長をつとめた。分科会のおもしろさは議長の采配次第だった。いずれ私もやってみたいと思った。


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2014.10.14オープニングセレモニー

 

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2014年10月19日 (日)

中国旅行記(1)中国第一印象

 中国杭州で開かれた「第10回アジア建築交流国際シンポジウム(ISAIA2014)」で風水について発表してきた。会場ホテルからはあまり出られなかったが、それでもいくつか得たことがあるのでメモしておきたい。

 中国では英語は通じない。ホテルでも空港でも観光地でも英語で尋ねたとたんに引かれる。ちゃんと翻訳アプリを買っておけばよかった。空港タクシー乗り場の配車係りの兄ちゃんには「タクシー」だけ通じたのですぐに手配してくれた。待っているとロンドンタクシーみたいなのがやってきたのでびっくりして「これはタクシーか?」と聞いたら兄ちゃんはうんうんとうなずいていた。言葉は分からなくてもあるていど通じるわけだ。
 空港から杭州市内まで30分ほどだ。一直線の高速道を150キロほどで飛ばす。途中にスピード違反の自動取締機がある。帰国するときに乗ったタクシーの運ちゃんは陽気に歌を歌いながらバチバチとフラッシュの瞬くその下をぶっとばしていった。150キロくらいにもなると写真に写らないらしい。
 車は基本的にウインカーは出さない。出さないかわりにクラクションを鳴らす。鳴らしながら割り込む。高速道路の1車線しかない分岐点へ数台が割り込むので車の流れが急に止まる。急停車したら後ろは横車線にはみ出してさらに先回りしようとする。分岐点を中心に扇状に車が並ぶ現象が出現するので危ない。バスやトラックは大きさを利用してそこへつっこんでくる。ここで事故に巻き込まれたらどうしようとオロオロしながら、この無鉄砲な感じは60年代日本の再現だなと思った。昔の日本はこんな感じだ。
 中国は人情が厚い。英語が通じ無いときでも一生懸命に話を聴こうとしてくれる。歌を歌っていたタクシーの兄ちゃんには「エアポート」が通じなかったが、スマホを差し出してくれたのでそれで翻訳してようやく通じた。別れ際に「シェシェ」と言うとニコニコしながら「バイバイ」と言ってくれた。こういう人懐こい感じの若い人が多いように思う。ちなみに彼のスマホの待ち受け画像は子供さんの写真だった。
 中国ではスケッチをしていると人が集まってくる。みんなニコニコしながら見に来るのがおもしろい。私の敬愛する建築家鈴木喜一はスケッチブックを携えて世界を放浪したが、彼の旅もこんなだったのだろうと思った。昨年亡くなる前に台湾旅行ツアーを誘われたが諸事情あって参加できなかった。彼の旅がこんな感じだったら連れはいないほうがよかろう。毎年わざわざツアーを催していたのは、言葉なんて通じなくても仲良くなれることをみんなに教えたかったのだろうと分かった。

 杭州は大規模開発のさなかだった。東京オリンピック前の東京や大阪万博前の大阪と同じ状況だ。開発は高層集合住宅が主で、すでに摩天楼のごときタワーマンションが市内市外に林立していた。その数倍の建設中の現場があり、それと同じくらいの解体現場があちこちにあった。70年代までの低層アパートが大量にあるのだが、それらを順次取り壊しているようだ。高速道路の建設と地下鉄工事も進行していた。これだけの大量のインフラはいずれ地域経済の重荷になるだろう。だがそれがこの国で俎上に上がるのはこれから半世紀ほど後のことになるだろう。
 杭州が世界遺産に選ばれるに際して歴史的建築物の復元が試みられていた。五重の塔、宋代の城門、石造りのアーチ橋などポスターを飾る歴史都市の顔はほとんど現代の作り物だ。世界遺産を準備することが都市開発の手段となっているらしい。歴史都市のテーマパーク化は日本でもおなじみで、行ってみてがっかりすることが多い。それでも本物はいくつか残されており修理も丁寧だった。堤防集落の小河直街、大運河末端の集積都市・河坊街、そこを拠点とした19世紀の大商人・胡雪巌の邸宅などいずれも伝統木構造のすばらしい建築だった。本当にここまで来て良かったと思った


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2014.10.17、杭州河坊街、旧胡雪巌邸(1872-75)

 

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2014年10月 9日 (木)

夏休みの古民家キャンプ

 8月に京都府古民家再生協会でこどものための古民家キャンプを開いた。会員の森番匠と北部支部が中心になって企画し、会場は京都府京丹後市大宮町五十河(いかが)の古民家集落の1棟を借り受けた。11名参加でその内こどもは3名だった。楽しかったので感想をメモしておきたい。

 このキャンプはこどもたちに古民家の楽しさを知ってもらうのが目的だったが、到着するなり屋根裏や周辺の探検を楽しんでいた。今回は摩擦式発火法を試したが、1時間ねばっても火がつかなかった。これはこどもより大人が道具を独占して楽しんだ。わたしは星座速水盤づくりのワークショップをして暗くなってから星座を探したが、少し曇っていたのとすっかり酔っていたのでよく分からなかった。夜中に肝試しが始まるとこどもたちはキャーキャー言いながら楽しんでいた。

 北部支部の安井さんがホタテやサザエを差し入れてくださったので夕方から縁側で酒盛りが始まった。大きな古民家の広い縁側はとても気持ちがよい。セミの声に混じって遠い雷が聞こえてくる。丹後半島の山並みの向こうから大きな積乱雲が湧き上がるのをぼんやり見ている時間はとてもよい。

 わたしが今回一番印象に残っているのは蚊帳だ。森番匠が借り受けてきてくれた本物の蚊帳だ。暑い一日だったがこどもたちが寝静まると座敷に風が吹き抜けて夜が静かに過ぎていった。

 古民家キャンプを続けるいって、こどものなかからリーダーが育ち、こどもだけで運営できるようになるのが夢だ。古民家の使いかたはまだ分からないことが多い。火の起こし方、水の調達方法、流しや水屋の使いかたなど知らないことが多すぎる。そうしたことを少しでも知ることができる古民家キャンプになればいいなと思っている。


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2014.08.23

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摩擦式発火の実験

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こともたちが火の番をする

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蚊帳を吊った

 

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2014年10月 7日 (火)

古民家再生協会・近畿地区大会

 京都府与謝野町の加悦町ちりめん街道で、古民家再生協会の近畿地区大会が開かれた。とても楽しかったので感想などをメモしておく。

 今回担当が私たち京都府古民家再生協会だったので、北部支部を中心に準備をしてもらった。北部は養蚕によって地域経済が活性化した江戸時代後半に古民家形式と集落風景が完成している。私は北部の例会に参加するごとに北部の魅力にとりつかれた。京都の再生協会の本部は北部に置いたほうが良いのではないかとさえ思う。今回の地区大会の成果は最近活動が活発になってきた北部支部の活躍だったと思う。北部のみなさんありがとうございました。

 大会は講演2本とちりめん街道の見学だった。講演のひとつは私たち京都のメンバーの地盤機構の田中さんだった。加悦町は昭和2年の丹後震災の震源地に近かったがほとんど被害が出なかった。昔の人は地盤の良さをよく知っていたわけだ。田中さんの活動はそうした昔の知恵を現代によみがえらせようとしているとも言える。京都府北部地区の地震、浸水の過去事例を見せてもらいながら説明を受けるとそれがとてもよく分かった。田中さんありがとうございました。

 NPO法人ちりめん街道未来塾の田中東さんのお話しはとても興味深かった。利害の対立を乗り超えて伝建地区指定の賛同者を住民の8割まで得たお話しは圧巻だった。伝建地区になれば外観修理の国庫補助がつく。けれどすでに建て替えた家も多く全員が国庫補助の恩恵受けるわけではなかった。伝建地区になれば改築制限も受けるというデメリットもあった。困難な状況のなかで「景観こそ住民共通の財産だ」という共通の利益を見出すことで合意形成のプロセスを実践した上田さんらの活動が私はとても興味深かった。上田さんありがとうございました。

 ちりめん街道を歩くのは3度目だ。何度歩いても発見がある。今回は上田さんに案内してもらったので、いろんなことが分かった。貴人用の「露地門」、窓の光線反射板を備えた「機屋窓」、過去に建っていた3階建ての「丹頂閣」。いずれも明治以降のものだ。ここには5つの旅館があったという。独自の金融機関を持ち、地元資本で鉄道を敷いた明治時代ちりめん街道の風景が目に浮かんでとても楽しかった。上田さんありがとうございました。

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ちりめん街道旧尾藤邸照明器具

 

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