室生寺へ行った
初めて室生寺へ行った。モミジのシーズンには観光バスが連なるらしいが、今は観光客も少なく静かな境内をゆっくりお参りすることができた。わたしは大好きな金堂が目当てだったが、行ってみると建物の良さもさりながら堂内の彫刻群のすばらしさに息をのんだ。
室生寺ホームページに仏像の紹介あり
http://www.murouji.or.jp/index.html
中央はお釈迦さまで、その左に十一面観音と文殊菩薩、右に薬師如来と地蔵菩薩が整列し、その前に運慶作というフィギアのように小さな十二神将が躍るように並んでいた。そのいずれもが見事な仏さまで自然と手が合わせる気持ちになったが、なかでも十一面観音は他では見たことのない神々しさと不思議な美しさがあった。ここへ来て本当に良かった。考えがまとまっているわけではないが感想などをメモしておきたい。
ここは役行者が開いた霊場とも言われ、その後弘法大師が女性のための道場として整備したという。おそらくここは古代からの聖域でそれを役行者や弘法大師が仏教的に整備したのだろう。元は沖縄のセーファウタキ(斎場御嶽)のような巫女の領域だったと思う。女性は高野山へ入れなかったので、そのかわりここへお参りするそうだ。ここが女人高野と呼ばれる由縁である。今も女性の参詣者を大事にする雰囲気があり信仰が生きているのを感じた。
境内の主要な堂塔はほぼこけら葺きで、ここが木気の世界であることを示している。ご本尊は如意輪観音さま。わたしは観音は木気だと考えているが、とくに如意輪観音は雨乞いと出産に関係が深い。室生寺はすぐ近くの竜穴神社と神仏習合していたようだ。そこは雨乞いの霊場として有名で、このあたり一帯が龍神の聖域だったのだろう。室生寺の本尊・如意輪観音は龍神の化身だったわけだ。次回は龍穴神社まで行ってみたい。
塔は基壇に立てば軒先に手が届くほど小さい。普通の塔の縮尺の半分しかないミニチュアだ。なぜこんなに小さいのか説明を聞いたことがない。こけら葺きの木気の塔で小さいのだから木気の陰気側という意味だろう。塔の上の九輪の上に小さなツボが載っている。ツボには龍が封じられているとも言う。ツボの上には天蓋がかかり、ツボがご神体であることを示す。
八卦では震(しん)と巽(そん)が木気に当たり、陰気なのは巽のほうだ。巽は「タツミ」とも読み十二支の辰(たつ)と巳(み)に相当する。辰は龍のことだから塔が陰気なのは龍神を祀るからではないかと思う。辰月は旧暦の3月(新暦4月)だ。田植えの準備で水のほしい季節なので龍神を祀るのにちょうどよかろう。
塔の脇から賽(さい)の河原へ行ける。薄暗い杉木立のなかの急な石段で、その左右にさまざまな供養の跡があった。今もそうした供養をしているようで、岩陰に新しい供え物が散見された。石段を上り詰めると大きな舞台づくりのお堂の下へ出る。舞台づくりは清水寺や円教寺マニ殿のようにそこが観音信仰の霊場であることを示すことが多い。舞台の後ろに巨岩が露呈し、その脇に木瓦の弘法大師御影堂があった。私は木の瓦を初めて見た。どこまでも木気で統一したいらしい。
室生寺は「龍神=観音」の領域で、そこでは先祖崇拝と子安信仰が行われたのだろう。古代人は死ぬと命が山へ帰ると考えた。同時に山から命をもらうことで子供が生まれる。人の命が行ったり来たりする境目が坂で、そこには恐ろしい坂神がいる。坂の上にはあの世に通じる大きな穴があって、それを大きな岩が塞いでいる。
塞がれてはいるが穴が無くなったわけではない。古事記では黄泉の国から逃げてきたイザナギが「よもつひらさか」に大きな岩を置いたという。追いかけてきたイザナミはイザナギをうらんで一日に100人を殺すと言った。イザナギはそれじゃあ一日に1000人産もうと答える。岩をはさんで命のやりとりをするわけだ。そういう古い信仰が今もここには生きている。
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