どうでもよい謎 少女マンガの歴史の大筋
少女マンガをそれほど読んでいるわけではないが、そこから派生したコミケの歴史は概観したことがある。およそ70年代の少女マンガ状況が前提になっていた(参照)。断っておくが現在ヲタクといえば男だが、コミケは本来的には女の文化だ。戦後日本の女性観が大きく揺れ動いたが、コミケはそれへの反抗として始まったようにわたしには見える。で、その少女マンガ自体の源流はどこなのか。わたしの描いている大筋では石坂洋二郎の「青い山脈」〈1947)に出てくる女性像あたりが源流ではないかと思う。それが映画(1949年)をとおして大衆化し、ある種の理想形として男女から支持された時代があるのだろう。1949年といえばまだ連合国の占領下である。当然占領軍の民主化政策とリンクしていたと思う。
映画が文化に与えた影響は計り知れない。わたしは映画をまったく見ないが、社会現象の資料としてなら見てもよいとも思う。おそらくそこに出てくる都会の日常は社会の写しだったから、それがまたたく間に地方に伝わったことだろう。地方のマンガ少女たちが競って東京へ集まったのは映画の影響も大きかったわけだ。
大筋に戻ると、60年安保あたりからようすが変ってくる。高度成長期の女性観は青い山脈のころからかけ離れているように見える。それへの反発として少女マンガが変り、さらにそれがコミケへとつながったのだろう。ちなみに女性観はバブル景気のあたりでまた変わったように見える。考え始めたばかりで具体的にはまだ答えられないが、そうした女性観の変貌が住居とりわけキッチンの設計に大きく影響したように思う。それは女性観が食文化と直結しているからではないか。まあ大筋はそんなところだ。
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