2014年7月28日 (月)

親子スケッチ教室雑感

 京都府古民家再生協会主催で府北部の旧加悦町(かやちょう)役場で親子スケッチ教室を開いた。おとな5名こども7名の参加だった。旧役場を対象に選んだのは、こどもたちが座り込めるスペースが欲しかったからだ。最初は硬い表情だったこどもたちが描くにしたがって次第にニコニコし始める変化がおもしろかった。小1時間ほどのスケッチだったがいろいろ考えたのでメモしておく。

 こどもの絵の特徴はふたつある。ひとつは対象と絵とが一致しないことだ。形も違うし色も違う。どうすればそれほど違う絵が描けるのか不思議でおもしろい。これはある種の発達心理学的な興味と言えよう。もうひとつの特徴は、そんな絵なのにはっきりと個性が表れていることだ。きっちりしてていねいなもの、勢いのよいタッチのもの、色使いの美しいものなどさまざまに個別化する。これにはちょっと驚いた。おとなのスケッチ教室の場合その人の個性が分かるまで5~6回はかかる。それが子供の場合は1回で分かってしまうのはなぜか。

 理由はふたつある。ひとつは、おとなには常識というリミッターがかかっていて、その人らしさを出すことを阻害していること。これは日本特有の文化現象であると思うし戦後アーツ教育の失敗でもあろう。かねてからそう思っていることで、せめてわたしの教室だけはそれを打破したいと願っている。

 もうひとつは今回初めて気付いたことだが、こどもの方がおとなよりも手先が器用であることだ。子供たちは与えられた画材をその場で試したり探ったりしながら絵を仕上げていく。説明書もなしにゲームを始めるような器用さを天性のものとしてこどもには与えられているのだろう。

 手を動かすことは思っていた以上に大事なことなのではないか。わたしは今までスケッチとは見ることと描くことを同時に進めると漠然と考えていたが、それはあいまいな言い方だった。見ることは脳内でイメージを生成させることだろう。そのイメージを紙面にトレースするのがスケッチという行為だ。しかし、手を動かすことでイメージがはっきりしたり思い違いに気づくことは多い。描くことでようやく見えてくると言ってもよかろう。手を動かす行為には脳内イメージを修正する力がある。

 脳内イメージは個人の意思とは関係なく与えられる。それは人類共通の世界認識システムだと思うが、描くことでいろんなものが見えればそれだけ世界が明瞭になるわけだ。こどもの試し描きや探り描きはその奮闘の跡なのだろう。絵は手の動きの軌跡の集合体だが、その全体像よりも軌跡ひとつひとつにこそ意味があるのかも知れない。そんなことを考えた。

 

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コメント

さきたかさん、ヘルニア快方に向かっているごようすで何よりです。食い物写真についてはまた再開するかもですが、外ごはんで写真を撮る行為が外聞がよくないということも感じておりますのでどうするかは決めていません。何にせよコメントありがとうございます。コメントいただくとブログのはげみになります。

投稿: つきたぬ | 2014年8月 5日 (火) 10時59分

お久しぶりです。食べ物写真。。わたし、結構好きなんですよ。復活して下さいませ。
ヘルニアの方は何とか軽快してきました。まだ、ちょっと手のしびれはありますが。。ほんと、経験したことがない痛みでございました。
 

投稿: さきたか | 2014年8月 5日 (火) 10時14分

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