2014年1月12日 (日)

遠藤新の現場主義について

 年始の特集番組で建築家の遠藤新を紹介していた。わたしは遠藤のことを全く知らなかったので興味深く見た。それで、ああこの人も現場主義の人だと思った。わたしの理想型である。

 彼の師匠のライトも現場主義者だった。天才的なプレゼン能力を持つ人だったが、その絵の通り作るかと言えばそうではない。現場で職人さんと一緒に汗を流しながら、どんどん設計を変えていく。帝国ホテルの現場でそれが建設費の高騰を招いたのがライトのせいのように番組では描かれていたが、それは日本の請負制度のほうの問題だ。米国では工事費の支払いは建築家が行う。工事費用はいったん建築家の口座に振り込まれ、そこから各職人への支払いが行われるのだ。そのやり方は今でもそうで、設計変更と同時に予算書の書き換えも建築家が自由にできる。その権限がライトに無かったことが問題だっただけだ。

 建築家が現場に常駐するのはガウディもそうだ。ガウディやライトがなぜ現場主義で建築を作るのか。それは彼らが中世主義者であったからに他ならない。中世主義とは、暗黒時代と言われた中世こそ人間らしい暮らしがあったとする文明批判の一種で、昔風の手作りこそ人間らしい営みだと考える。ライトやガウディは建築を経済行為というよりも、人とコミュニティが成長するためのワークショップと考えていた節がある。そのことを遠藤は教わったはずだ。

 番組では新しく見つかった遠藤の映っているフィルムが紹介されていた。現場を歩いている映像で、たばこを片手にニコニコしながら近づいてくる。楽しいんだろうなと見ただけで分かる。こういう現場は職人さんたちも楽しいに決まっている。病魔に捕らわれて亡くなる直前も彼は現場にやってきた。教会堂の工事現場で、彼は屋根に上がりたいと言い出す。職人さんたちは当然止めたが聞かないので、しかたなく足場をつたって大屋根の上へ連れていった。そして鐘楼の高さを何十センチか下げるよう指示を出した後で亡くなったという。現場主義者らしい印象的な最期だった。

 番組ではライトとの関係でこのエピソードを紹介していたが、わたしは単純に大屋根に昇りたかっただけだろうと思う。塔の高さは何十センチ変えたところで印象はそれほど変わらない。その指示は、上へ連れていってくれた職人さんたちへの照れ隠しであって、塔の高さの検討のために上がったのではなかろう。塔の高さを検討するなら、屋根に上がるより建物から離れたほうがよく分かる。

 現場のおもしろさのひとつに日常では決して見ることのできないものを見る楽しさがある。そのひとつに足場のてっぺんに昇るというのがある。わたしは高いところが苦手なので滅多に昇らないが、足場から見渡す風景には確かに胸のすくような清々しさがある。それは現場に関わるものたちの楽しみのひとつだ。彼は最後にそれをもう一度確かめたかったのだろう。もちろんその清々しさは、現場がギスギスしていたら味わえない。ものを作る喜びがそこにあって初めて味わえるものだ。それが中世主義である。


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2011.08.11/ワトソン紙(ハガキサイズ)、4Bホルダー、透明水彩/兵庫県芦屋市、旧山邑邸(遠藤新1924年設計)

 

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