2013年11月14日 (木)

法隆寺の謎を解く

 法隆寺の謎を解いている。まだ途中なのだが経過をメモしておく。

 謎というのは門(中門)の間口が4間であることだ。門の真ん中に柱が入っているので通りにくい。そもそも偶数間口の門なんてここ以外に聞いたことがない。なぜこんな不便なことをしたのか、というのが謎である。

Houryujimon_3

 これまでもいくつか説明はあった。よく言われるのは、法隆寺は東西一列に塔と金堂が並んでいるので、塔へ行くときは左側、金堂へ行くときは右側を通るというもの。でもそれだと塔へ行ってから金堂へ行くとき、一旦外へ出て入り直さなくちゃならない。それも不便だろう。ほかにも説得力の有る説明はまだない。戦前の修理時には、元々は奇数間口だったはずだから修理に乗じて改修してしまえという強硬意見もあった。それを抑えたのが修理所長の武田五一だった。彼もおかしいとは思ったろうが、勝手な改修はもっとおかしいと考えたのだろう。

 さて、この謎を一挙に解いたのが梅原猛だった。彼は「隠された十字架」で、真ん中にある柱は怨霊封じのためだと説いた。梅原説のおもしろいところは、聖徳太子時代の国際情勢を各国の国史を付き合わせていきいきと語ったところにある。わたしはその考え方から学んだことは多い。しかし梅原説は偶数間口であることの説明にはなっても、なぜ「4」なのかを説明していない。「6」でも良かったのか。

 ちなみに梅原は五行説や易経にあまり興味がないらしい。官位12階の帽子の色の配列の意味が分からないと書いている。それは単純に五行説の相克の関係の順になっているだけなのにそれに気がつかない。そんなだから「4」の意味も考えたことが無いのだろう。この謎は難しいという先入観があるが、五行説を当てはめれば案外簡単に解けるのではないか。そう思い始めている。

 ヒントはいくつかある。


1) 門は間口が4間で奥行きが3間である。

2) 金堂のご本尊は釈迦三尊像だが、その東側に薬師如来が安置されている。釈迦如来像には聖徳太子の冥福を祈るために623年にトリ仏師が作ったと記されている。薬師如来像には用明天皇が自らの病気平癒を願って仏寺建立を思い立ったが完成を見ずに没し、そのあと推古天皇と聖徳太子とが607年に完成させたと記されている。

3) ふつう塔は東側に建てることが多いのに、ここでは西側に建っている。屋根の上の九輪(銅製の輪っかが9つ連なった飾り)の上に鎌が2本取り付けられている。九輪に鎌がついているのは法隆寺だけで、鎌は風を切る、つまり暴風を抑えると伝えられている。

4) 法隆寺は龍田大社と神仏習合されており、龍田神の本地仏は釈迦如来とされている。崇神天皇の時代(3-4世紀)に不作と疫病が起こり、天皇の夢に龍田神が現れて我を祀れと言ったのが龍田大社の創建神話だ。龍田大社では天武朝の675年より風鎮(しず)めの大祭を行っている。


 ご本尊の釈迦如来は龍田神と同一視されている。龍田神は風神だが、この場合の風は疫病を指すと見てよい。用明天皇は疱瘡(ほうそう)で亡くなったとも言う。疱瘡とは天然痘のことだ。当時伝染病は戦死者の亡霊の仕業と考えられた。それを防ぐためには、疫神に供物をして鎮めるか、仏教儀礼である放生会を開くしかなかった。龍田大社も法隆寺もそのために作られている。法隆寺や龍田大社が奈良盆地の西の入り口を抑えているのは、伝染病がそこから入ってくると信じられたからだろう。

 「4」は九星図によれば四緑木星の風に当たる。だから門が4間になるのは、ここの主が風の神であることを示す。風は木星だから木気だ。ならば法隆寺は木気を示すものであふれているかと言えばそうではない。実は金気だらけなのである。

 まず九輪の鎌の意味だが、鎌は金気で木気を克(こく)すものだ。克すとは殺すという意味だ。だから伝説に言う鎌が風を切るという意味は、木気である風を金気である鎌が殺すという意味だ。9輪の「9」そのものも金気を示す。そもそも塔が西に建っていることも金気を強調する。西は金気の領域だからだ。

 対する東金堂は木気の領域だから、ご本尊が木気であることと矛盾しない。しかしその東側に薬師如来が安置されている。東側に置かれるのは薬師が東方浄瑠璃世界に住むからだが、薬師そのものは金気とみなされることが多い。ご本尊の隣りに木気を克する薬師をわざわざ置いている。この寺は「金克木(きんこくもく)」という相克(そうこく)の関係で作られている。

 金気の力で木気を減らす。その考え方は天武朝以降なら十分あり得ることだ。ただし元々は木気の神様を祀っていたことと矛盾する。そこがよく分からない。天武朝のころなんらかの聖地の書き換えが行われたのだろうが、それが話を複雑にしているようだ。

 でももしそうであるならば、門が4間であることの意味ははっきりする。「4」は河図によれば金気を示す。4と3を足した「7」も九星図によれば七赤金星の沢であり金気となる。しかも「4」は木気をも示す都合のよい数字だ。そう考えると最初の説の塔と金堂とで入り口を変えるという説もあながち外れてはいないことになる。この門は「金克木」という法隆寺のテーマを示しているように私には見える。

 

|

陰陽五行説」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 法隆寺の謎を解く: