2013年11月10日 (日)

元興寺の謎を解く

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元興寺曼荼羅堂、1244年

 奈良の古民家再生協会主催の町歩きに参加して、久しぶりに元興寺(がんごうじ)へ行った。とても良かった。このかっこよさは何かと見ているうちに気がついた。兵庫県の浄土寺浄土堂とそっくりなのだ。


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浄土寺浄土堂、1192年

 浄土堂は東大寺を再建した重源の遺作だ。彼は大仏様(だいぶつよう)と呼ばれる中国わたりの最新技術で東大寺を再建した。普通、寺院の軒先は角へいくほど反り上がる。しかし大仏様はその反りがほとんど見られない。軒先がまっすぐ水平で、まるで大きな船の喫水線のようだ。そこがかっこいい。

 元興寺の曼荼羅堂は、元からあった極楽坊という僧坊を大改造して建てられた。それは東大寺の手によったから、同じ大仏様になったわけだ。他の様式で建てることもできたはずだが、どちらも阿弥陀様を祀る阿弥陀堂だから、様式は意図的に合わせたと考えるべきだろう。

 浄土堂の場合、軒先が低く、相対的にとんがり屋根が強調されてまるでピラミッドのような美しさを獲得している。これは、堂内の阿弥陀三尊像に合わせた設計であることは前に見た(参照)。一方、曼荼羅堂の軒が低いのは、元にした僧坊の軒が低かったためだろう。僧坊は修道院の住居部分のようなもので、さほど大きく作る必要はないのだ。しかし、そのおかげで浄土堂と同様の美しいプロポーションを手に入れた。改造時に軒を上げることはできたのだから、これも意図的とするべきだろう。曼荼羅堂は浄土堂の写しである。


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 障子の美しさも半端ではない。出入り口の格子戸はとても細かく、障子紙の白さがロットになって星のように散らばる。その上の欄間は、ヒシ形の組子模様で、よく見ると2本をセットにして斜めに流している。下の格子戸と響き合って目の覚めるような美しさだ。わたしは浄土堂も今年初めて観たが、続けて曼荼羅堂と出会えてしあわせだ。


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 このお堂は謎深い。そのことに誰も言及しないのが不思議だ。お堂が美しいので最初気がつかなかったが、見ているうちにぎょっとした。なんと正面が間口が6間(けん)なのだ。通常、お堂の正面間口は奇数にする。そうしなければ、外から拝観するときに柱がじゃまになってご本尊が拝めないからだ。正面が偶数なのは私の知るかぎり法隆寺ぐらいである。

 もうひとつの謎は、堂内の柱が1本足りないことだ。同行の方たちは鬼門だからではないかというが、なぜ鬼門だと柱を抜くのか説明がつかない。構造的に重要な場所の柱をわざわざ抜いたのはなぜだろう。

 とりあえず考えたことをメモしておく。

 洛書後天図では6は地に当たる。地は天の対概念で陰気の極みである。わたしは6という数字は墓と関係があると思う。空也の開いたとされる六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)のある六原は清水坂のふもと、葬送儀礼の土地だった。だから6を使うお堂は廟ではないか。廟とは故人を祀るお堂のことである。

 法隆寺が聖徳太子の廟であると言われるように、曼荼羅堂は日本における浄土教の始祖ともされる智光の住んでいた僧坊跡で、いわば浄土教の聖地だ。ご本尊は智光が夢で見た極楽浄土を描いた板絵である。僧坊を浄土教の聖地として整備するにあたり、聖なる遺物である板絵を祀り、僧坊そのものをお堂に取り込んで廟とした。元興寺は日本で最初の寺院飛鳥寺のまつえなのだから、仏法を日本へ入れた聖徳太子の廟を手本として偶数間口のお堂を建てたのではないか。

 柱が1本無い理由は分かりづらい。他に事例があれば比較検討できるが聞いたことがない。このお堂の場合、間口が6であることが重要であることは上に述べたとおりだ。でも堂内まで真ん中に柱を立ててしまうと、じゃまでしようがない。そのため内側では真ん中の柱を抜いている。だが、そうすると5間になってしまう。5は土気を表す数字で悪い数字ではないが、阿弥陀様は西方浄土の主だから金気でないとおかしい。だからもう1本抜いて4間にしたのではないか。4は金気を示す数字である。それにしてもなぜ北から3本目を抜いたのだろう。どこを抜いても良さそうなものなのに。それも易経で読めば分かる。


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 問題になっている柱筋は上図のように東から2列目だ。柱のある場所を陽気、無い場所を陰気とすると、上から陽・陽・陽、陰・陽・陽となる。最初の3つ陽・陽・陽は易経の「天」に当たる。次の3つ陰・陽・陽は「沢」となる。易経は8枚のカードのうちから2度引いたときの並び方で意味を求める。8枚の二乗なので64通りの結果がでる。この場合「天」と「沢」なので意味は「履(り)」だ。これは64卦のなかでもっとも縁起の良いかたちのひとつである。もしそうだとすれば、このお堂の設計者は「天沢履」の易でお堂を言祝ごうとしたわけだ。

 民俗学者の吉野裕子(ひろこ)は、聖徳太子の17条憲法が易の「天沢履(てんたくり)」を応用して作られていることを発見した。天は数字になおすと9、沢は8となる。9+8=17というわけだ。曼荼羅堂が不自然に北から3番目の柱を抜いたのは、ここが聖徳太子の偉業を継ぐ仏法の本拠地であると主張しているように私には見える。

 

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