2013年3月10日 (日)

夢日記 130310

 久しぶりに覚えていたのでメモしておく。明け方に見た夢だ。

 母校である大学の構内を歩いている。風景は実際と違ってもっと古い建物が多く、近代建築好きの友人たちを案内しているところだ。予定コースから逸れて、近隣の古い集落へ入っていく。坂道の農村で、路面電車のような私鉄の駅がある。線路沿いに旧街道がとぎれとぎれに続いていて、われわれはそれをたどり山へ入っていく。街道沿いには古い建物も多く、あれこれ眺めながら進むうち谷の奥に突き当たってしまった。線路はトンネルで山の向こうへ続いているようだが街道は続いているようには見えない。大きな木造の製材所が数軒並んでいる前を過ぎ、線路の向こう側へ回り込んで帰り始めた。

 街道沿いの旅館のようなところへ友人と入る。畳敷きの暗い広間に通されて順番を待つように言われる。何の順番なのかは分からない。待っていると、同じような客が続々と入ってくる。客たちがスマホかなにかの端末を使おうと電源を探し始めた。友人も端末を取り出している。わたしは電源を使ってもいいか聞いて来ると言って階下へ降りた。

 わたしはそのまま外へ出て広い湖まで行った。湖の向こうには春の山が連なっている。たくさんの人が集まっていてお祭りが始まるところだ。湖には赤くて長い木の橋がかかっていた。橋は平ではなく中央線のところが高く、そこから左右の湖のほうへ傾斜していて歩きにくそうだ。そこを神輿を渡すらしい。わたしはそこで女の子を見つける。祭りが始まるまで時間がありそうなので、わたしは女の子を宿へ連れて帰った。寒そうだったので何か着せるためだ。

 女の子は巫女のようで、宿で春の山のもようの衣装を取り出してきた。わたしは山に合わせて衣装を選んではいけないと言って別の暖かいものを着せてやった。湖へ戻ると祭が始まっており橋の上に神様が降りてきた。神様は透き通って輝いており、少年の姿のようだった。巫女はブリキの箱を開けた。なかに丸い分銅のようなものがあり、それはおしゃぶりのようなものらしい。ほかに役立ちそうなものは無かった。そこで目が覚めた。

 (夢読み)
 分かりやすい。同じ夢を趣向を変えて3度見ている。それをほとんど一瞬に見ているのだろう。夢日記を書くことで夢が伝えようとしていることがはっきりする。わたしの場合はユングの心理学の夢判断の手法を学んだことで分かりやすくなった。まあ、全てが分かるわけじゃないけどね。

 さて、この夢の「古い校舎群」「街道沿いの山へつづく集落」「古い旅館」「湖」などはわたしの無意識を表している。わたしが古いものに惹かれることと直接は関係が無い。逆に本人の興味有るものを夢が使って分かりやすくしてくれているのだろう。

 この夢はかならず行き詰まるところで終わる。「トンネルのある山」「使えない端末」「渡れない橋」などがそれだ。「トンネル」「端末」「橋」を使えば向こう側とつながることができる。このトンネルは私鉄用なので電車でなければ通れない。端末は電源が無くて使えない。これは意識と無意識がうまく連動していないもどかしげな状況をイメージ化したものだろう。

 ただし橋はお祭りをすることで向こう側とつながることができるらしい。こちら側はまだ寒いが向こう側はなにかしら春めいたうるわしい場所だ。というわけで巫女が登場して向こう側の世界、つまり無意識とつながろうとするが、まだ幼いためにうまくいかない。おしゃぶりは幼いというイメージなのだろう。

 ちなみにユングの心理学で言えば巫女はわたしの創造性だ。心理学用語ではアニマとかアニムスと言う。社会的な意味での男性は、抑圧された女性的な心理機能がこころの中でアニマとなる。同様に女性では逆にアニムスとなる。失われた心理機能を統合することで人のこころはバランスを保つ。この統合するという行為はなんらかの創造的なものだとユングは考えた。それを心のなかのアニマやアニムスが助けてくれる。彼は昔話の研究を通してこの理論を導き出した。

 わたしの場合は創造性が寒くて幼くて道具も持っていない状態であることを表している。なんとも心許ない状況だが、夢自体に暗い感じは無かったし巫女と話しもできたわけだからそろそろつながってきていることを予感させる良い夢なのだろう。

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