2012年8月16日 (木)

さぬきメモ(07) 引田八幡宮

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2012.07.23、香川県東かがわ市引田(ひけた)

 町の西を河が流れており、そこに赤い橋がかかっている。その先に神社が見える。橋の名前は「御幸橋」だから、参道入り口の橋であることが分かる。橋の西詰めに大鳥居があることでも、ここが結界の入り口であることが分かる。分からないのはなぜ橋が赤いのかということ。これはけっこう難しい。


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 これが町の地図だ。町の構造がよく分かる。川をはさんで神社と町とを対置する単純な構成だ。方角は左側が北になる。五行説に従えば北が陰気で南が陽気だ。これは沖縄連載のときの備瀬のフクギ並木(参照)で見た町の構造と同じだ。

 町が道沿いに展開する棒状のものであるならば、東西型か南北型のどちらかで風水を整えればよいわけだ。風水で調整された町は結局このふたつのタイプしか無いのかも知れない。

< 風水による町の分類 >
南北型  北(水気)ー南(火気)
東西型  西(金気)ー東(木気)


 さて、なぜ橋が赤いのか。これがちょっと難しい。上の分類は河図(かと)によるのだが、これだけでは分からない。おそらくこれは河図ではなく洛書(らくしょ)なのだ。それも先天図のほうだ。

< 先天図による分類 >
南北型  北(土気の地)ー南(金気の天)
東西型  西(水気の水)-東(火気の火)


 これでよく分かる。北方は易の8枚のカードの内の「地」に当たる。つまり八幡宮は大地の女神の領域だ。普通なら大黒天になるだろう。地は当然土気だから、それを強めるためには火を供えると良い。つまり橋が赤いのは、土気の神さまへの供え物という意味になる。土気である稲荷尊の鳥居が赤いのと同じ理由だ。

 引田は瀬戸内海に着き出した岬の付け根にある。この岬のおかげで風町の港町として栄えたわけだ。八幡宮はその岬の中腹にある。頂上には城跡がある。この引田の海賊城は平和な江戸時代になって破却されたそうだ。中世の山城は聖域にあることが多い。わたしは「しろ」というのは神代(かみしろ)つまり神を降ろす神座(かぐら)のある場所の意味だろうと思っている。ここも古代からの聖域だったわけだ。

 沖縄の集落が中国わたりの新しい風水によって整備されたのと同じ時期にこの町も同じように改造されたのだろう。それは戦国時代のことだったと思う。引田の海賊衆は最新の風水によって町を整備しようとした。その計画の核になったのが岬の聖域だったわけだ。

 沖縄では長く風葬の名残があったのだという。それはいつのころまでさかのぼるのか分からない古い風習だ。わたしはまだ先祖崇拝と風水との関係を見極められないでいる。ひょっとして風水思想よりも古いタイプの信仰なのではないかとも思う。沖縄の備瀬の北方にはそうした風葬の洞窟があるのだと思う。この岬もそうした場所だったのだろう。この聖域を先天図の「地」に配当したのは、この穴に由来するのだろう。赤い橋はそこから先が先祖の帰る聖なる山であることを示しているわけだ。

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