2012年1月25日 (水)

ワークワークファンタジア(26)

 古城もすでにワークワークたちに制圧されていた。石垣のなかにいくつかの草ぶきの倉庫群があった。水田は神のものだったから、そこで収穫されたものはいったんここへ集められて神にささげられた。人間はそのあとでお下がりをいただくのである。
 奥に神殿のような建物があった。その背後のがけに地下へ降りる入口があった。そこはもう何年も人が入った気配がない。テグ人たちが手分けして通路に灯りを置いていった。通路は馬が通れるほどの広さがあった。岩盤をくり抜いた鉱山の坑道のようなもので、横穴と竪穴が組み合わされて次第に地下へと降りていく。 
 竪穴は大きな円筒形でらせん状に階段が刻まれている。ひときわ大きな竪穴があり、次々と灯される明かりに照らされて、その底に祭壇があるのが分かった。
 
 「ここじゃな」

 底は鉄鉱石が露出していた。それを刻んで四角い祭壇のようなものがあった。隅に太鼓がいくつかあった。

 「テグのものでこれが使えるものはおるか。」
 「このものが使えます」

 差し出されたのは小さな男の子だった。さっそく床に散らばる太鼓のなかで使えそうなものを選び、皮を張りなおし始めた。巫女はテグ人たちに四角い祭壇のようなものを水で洗わせた。表面は鏡のように磨き上げられていて、明かりのともったらせん階段が映り込んでいた。穴の底へ降りてきたらせん状の明かりの列と映り込んだそれがつながっているように見える。まるでそれは暗い宇宙にうかぶ一筋のらせん状の星たちに見えた。これを龍に見立てていることは明らかだ。

 「これは何の祭壇なのか。」
 「祭壇ではない。これは舞台じゃ。」

 将軍の問いにそう答えると巫女は軽々と舞台に飛び乗った。そして滑ってころんだ。

 「くつを脱がねばならぬ。」
 「ここで何をするのかね」

 今度はテグの長老が尋ねた。巫女は乗馬用の網くつをほどいて裸足になりながら答えた。

 「もちろん舞うのじゃ。おまえたちとて、ここでどのような祭りが行われたのか覚えているものはもうおらぬじゃろ。でもな、われわれが天神をまつる方法はただひとつしかない。巫女が舞うのじゃ」

 古墳時代の祭祀は易に書かれているような内容でだったと思っている。もっとも使いやすいのが「天沢履(てんたくり)」と「地山謙」だろう。「天沢履」は沢である巫女が天をまつることで「履」が得られるというもの。「履」とは自然の恵みが履行されることが。沢は兌(だ)と書き、これは巫女が神の言葉を告げる象形文字だとされ、また同時に喜ぶという意味もある。

 易では天は父親、兌は小女に該当する。天神をまつる巫女はまだこどもの少女でなければならない。だからもうそこに兌がいるだけで祭祀としては完成しているのだが、それを強調するために喜びを表現するわけだ。そこでバリエーションが生まれるわけだが、もっともポピュラーなのが舞であるようだ。わたしは祇園の舞子もこれだと思っている。


※ この妄想小説はホームページの日記で「古墳時代」というタイトルで書き始めたエッセーが途中から小説に変化したものだ。

過去ログ一覧はここ http://tanuki.la.coocan.jp/diary-log.html

「古墳時代(1)」は2011年8月下旬のここ http://tanuki.la.coocan.jp/log/log1108-3.html

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