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2011年9月

2011年9月30日 (金)

ワークワークファンタジア(24)

 「まさか大巫がこの世に残っていたとは。」

 新羅の王子は戦況を目の当たりにして驚いた。大巫は古代に死に絶えたと考えられていたからだ。大巫は今と違って神々に直接触れることができると言う。しかしそれは神話時代の話であって、神々と直接話す術は人間からは失われたと考えられていた。敗走する東晋兵の中心にゆらめいているのは、確かに伽耶の祀る龍神であろう。不思議な楽の音がここまで響いてくる。彼らは、ワークワーク襲来を察知して国境を越えた。卓淳国へ介入する好機と思われたからだ。ところが戦況は予想外の展開を見せた。いったいこれはどういうことなのか。彼らは半旗を掲げた使者を龍の立つ戦場へ送った。

 同じく戦況を見ていたもうひとつのグループがあった。百済の律令官と金官伽耶の王族だ。彼らは少ない手勢でここまで来たが、新羅軍が陣を張っていたのは想定外だった。彼らを刺激しないように離れた場所でようすを見ていた。金官伽耶こそ東晋軍の敗走は予想していなかった。そればかりではなく、古代伽耶の伝説的な龍神まで復活している。これでは立場が悪くなるばかりだろう。

 青ざめた王族を横目に律令官は舌打ちをした。金官伽耶の企みは内通者によって知るところだった。伽耶は百済に忠誠を誓っているが、それはうわべだけであることもよく分かっている。ワークワークたちの動きを放置していたのは、彼らをみくびっていたこともあるが、むしろ事後に金官伽耶の老獪な王族たちを詰問したかったからだ。しかしどうだこの体たらくは。いったい何が起こっているのだ。ワークワークたちは何をしているのか。新羅軍から使者が下りていくのを見て、このグループも使者を送ることにした。

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2011年9月27日 (火)

ワークワークファンタジア(23)

 剣には2匹の光る小龍がまとわりついていた。その内の1匹がうねりながら前方へ飛び去った。巫女がなにかを唱えると神殿までの古い参道の両側に光の柱が立ち並んだ。まるでそれ自体が巨大な神殿のようだった。

 前を走る騎馬は左右どちらへ展開するか迷っていた。小龍は先頭の司令の前に躍り出ると、誘うように振り返っり、そのまままっすぐ神殿へ向かって飛んだ。彼らはこの小龍に船の上で慣れていたので、自然に龍の先導に従うことができた。後ろから迫った光の列柱が彼らを追い越した。これほど大きな光を見たのは初めてだ。彼らの目の前に列柱に護られた古い参道が見えた。騎馬団は道を得て速度を上げた。何かの楽が聞こえていた。

 神殿はワークワークの議事堂と同じ構造で、高床ではなく竪穴式のものだ。左右から三角形に屋根をかけ、その前後に入り口があった。相当古いもので装飾もはげ落ちているが、かつては極彩色に塗られていたことが分かる。光る参道は神殿へ至ると、その前後の壁を吹き飛ばした。同時に騎馬団は神殿の中へ突入した。今でもここは使っているらしい。内部はきれいに片付けられており、地面には織物が幾重にも敷かれていた。騎馬団は神殿の向こう側に赤い帝国旗を見つけた。それが東晋軍の指揮所だった。

 光の列柱は神殿を串刺しにしてさらに進んだ。そしてかつて神殿があった場所に至ると、そこで3つの神座を示す柱をひときわ大きく立てた。そこを指揮所に使っていた東晋軍は一瞬目がくらみ、軍鼓も止まった。生き物のように動いていた東晋軍の動きがにぶった。ただそれは一瞬のことで、彼らはすぐに神殿から騎馬兵が飛び出して来るのを見つけた。前面に槍兵が出たのと騎馬団の先頭が到達したのが同時だった。騎馬は飛んだ。槍はそれにつられて高く突き上げられたが間に合わなかった。幾頭かは槍に遮られて転倒したが、騎馬の多くは軽々と槍兵を飛び越え背後の歩兵のただ中へ躍り込んだ。

 混乱する歩兵を尻目に彼らは後ろ向きに矢を放った。騎馬からの弓であるのもかかわらず、彼らのねらいはおそろしく正確で東晋の歩兵は次々と矢に倒れた。軽くて早くて器用なのがワークワークの特性である。騎馬上ですばやく矢をつがえ直すと2本目は赤い帝国旗のなびく指揮所をねらった。至近距離なのでほぼ真上への射撃となる。東晋の指揮官たちは状況をほぼ把握していた。左右に展開させた前衛を騎馬ではなく敵の歩兵団へ殺到させる指示を出した。軍鼓の調子が変わって、それを前衛へ伝達した。そのとき天空からワークワークの放った矢が降り注ぎ、指揮官たちに命中した。指揮所は殲滅し軍鼓が止まった。

 騎馬は東晋軍を突破すると左旋回し、神殿横へまわりこんで東晋の右翼を背後から襲った。そのまま駆け抜けて、巫女たちの前を横切り左翼へと飛び込んでいった。分断された東晋軍は、状況が分からず軍旗のある中央へ戻ろうとした。それが混乱に拍車をかけた。本来ならば状況がどうあれ、敵を川へ押し返すほうが良かったろう。よく訓練された帝国軍は、指揮されているあいだは生き物のように動くことができたが、部分部分での判断力はそれほど高くはなかっのだ。帝国とはそういうものだろう。

 近接戦になればワークワークのほうが有利である。混乱する戦線で、ワークワークたちは容赦なく敵をなぎ倒した。踊るような剣法は、確実に敵を捕捉し無力化していく。なかでも際だったのは巫女の剣舞のような戦いぶりだった。いつしか彼女を中心とした輪ができあがった。歩兵たちは彼女に同期したように振る舞い、ある種の不思議な戦う円陣のようなものができあがっていた。また楽の音が聞こえていた。東晋兵は敗走を始めた。

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2011年9月24日 (土)

ワークワークファンタジア(22)

 朝もやにまぎれ、2隻同時に着岸させると後部ハッチを開いた。騎馬を先頭に上陸し、港湾施設と精錬所を制圧した。時間が無かった。敵は重装備の帝国軍だ。圧倒的な速さで機先を制するしか勝ち目はないだろう。すばやく隊列を組みなおして古城へ向けて進軍を始めた。そのとたんに意外にも帝国軍の攻撃が始まった。

 荒れ地の中央に巨大な神殿の残骸があった。帝国軍はその背後に隠れていたようだ。低いときの声が冷たい朝の空気を震わせた。独特の太鼓の音とともに帝国軍は神殿の左右へ展開した。神殿の影から出て来るので、どの程度の兵力なのか皆目分からない。一方敵からはこちらが丸見えだろう。先頭は長いやりを斜めにかかげた槍兵だ。こちらの馬を制して、一気に川まで押し返すつもりだ。

 「我々のことは筒抜けだったようですね」

 奇襲は完全に失敗していた。敵はこちらの動きを事前に察知し、陣を敷いて上陸を待っていたのだろう。川から古城まで斜面になっているから、下にいるわれわれのほうが分が悪い。軍鼓の音が急に変わった。迫ってくる敵陣は生き物のように変化し、ワークワークを左右から囲い込む陣形をとった。騎馬団が左右どちらの敵に向かっても厚い陣形にはばまれてスピードを失う。早さがなければ軽装備の騎馬兵などものの数ではない。

 「ともかく左右どちらかを突破してきます。」

 司令はそう言い残すと騎馬団の先頭になって飛び出した。形勢は不利だった。帝国軍の兵力が勝っている上に、完全に虚を突かれている。奇襲するはずが、襲われているのはこちら側だった。逃げるにしても船はすぐには出せない。立てこもるべき場所もない。唯一の望みはこちらの機動力を活かして敵陣を混乱させ、脱出の機会を見つけることだ。騎馬団は神殿めがけて走り去り、それを追いかける歩兵との間隔は広がった。騎馬団が敵陣を突破したとしても、それに歩兵が追いつく距離がない。敵陣はすぐさま立て直されて、騎馬と歩兵に分断されたワークワークたちはたちまち撃破されるだろう。

 突然、猛烈に矢が降り注いだ。帝国軍の矢は重く長いため殺傷力が高い。ワークワークたちは走りながら楯をかざしたが、彼らの軽い木製の楯は矢が当たると音をたてて割れた。巫女はカイに乗り、騎乗の将軍が併走した。歩兵は彼らを守ようにまわりを固めて走っていたが、敵の矢に次々と倒れていった。倒れる歩兵を横目に見ながら巫女が問うた。

 「将軍よ。我らが攻めるのは右か左か。」
 「真ん中しかありませんな。」

 それを聴くと巫女はにやりと笑い剣を高く掲げた。

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2011年9月23日 (金)

ワークワークファンタジア(21)

 「なぜわらわがこのようなむさいものを身につけねばならんのじゃ」
 巫女は鎧を着けるのを嫌がった。
 「言うておくが、わらわは王ではないぞ!巫女じゃ!」
 それでも無理矢理着せられてみると巫女は軍装がよく似合った。
 「重いのう」
 巫女が歩くと鎧がじゃらじゃら鳴った。
 
 向こうでは神馬のカイも同様の装備をされようとしているのが見える。大暴れに暴れて何人かが吹き飛ばされた。それでもこの馬も軍装がよく似合った。

 ワークワークたちはもう何十年もここへ通っているので、地勢は熟知している。晋が滅びて停止したテグの精錬所はほどなく東晋が復興した。今では帝国時代の数倍の規模の精錬所となっている。日干しレンガで作った大きな炉がいくつも並び黒煙を吹き上げている。帝国時代の港湾が残っており、倉庫が立ち並んでいた。丘の上に卓淳王国の古城が見えた。今は東晋の守備隊が使っており、くずれた塔の上に赤い帝国旗がひるがえっていた。

 港から古城まで一面の荒れ地で、ところどころ倒壊した大きな建物の残骸が残っていた。ここはかつて伽耶全体の都で、鉱物資源を中心とした交易都市としてにぎわった。しかし、この王国は政治中心というより宗教都市と言ったほうがよい。鉱脈は龍の通る道、つまり龍脈と考えられていた。鉱物を扱う彼らは、大地の龍脈を祀る一族だった。卓淳族は今は荒れた都市跡に住み、精錬所で使われていた。龍脈を祀る秘儀は細々と彼らのあいだで守られているだけだった。

 大地は龍脈によって気が通じると考えれていた。龍脈が正しく流れてこそ、大地は豊かな実りをもたらす。それは鉱物資源だけの話ではなく、むしろ農耕儀礼の根幹をなす信仰だった。とくに稲作は雷神との関係が深く、大規模な農地開発と天神信仰の広がりとは同時に進んだ。その祭祀の中心地が、ここテグだったのだ。大邱の邱(おか)とは龍脈の露呈した場所という意味である。

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2011年9月22日 (木)

ワークワークファンタジア(20)

 ナクトン川河口からテグまで3日かかる。川巾も広く流れもゆるやかだ。河口域では百済側に補足されるおそれがあるので、危険を承知で夜明け前に通過した。ワークワークたちは何度も通った航路なので熟知している。帆を半分上げ、人力調整しながら船を進める。小舟に先導させ、そこでたいまつを回転させて細かい進路調整の指示を出した。難しかったのは先頭のイクノと後続のカラノの船足が違うことだった。同じように見えるがカラノのほうが少し早い。船体は古いのに良い船だ。

 夜が明け霧が晴れると、ナクトン川両岸が見えるようになってきた。これから3日間。彼らは荒廃した土地を眺めることになる。肥沃な農地は鉱毒に侵され赤茶けた地肌を覗かせている。大きな廃村と壊れた城が人気の無いこの土地のかつての繁栄を物語っていた。豊かな山林は一面焼け爛れていた。大規模な森林火災が起こったらしい。

 3日目になると、進路のはるか遠くに川をふさぐ巨大なものが見えてきた。最初それは川の中にある白い大きな岩山に見えた。しかし近づくにつれそれは岩ではないことが分かってきた。それは古い時代の難破船だった。巨大な船が川のまんなかで横転し白い船腹を見せているのだ。

 ワークワークたちの船もたいがい大きいが、これはその数倍もあるようだ。半分以上水の中なので全長は分からない。長い船腹は横転時の衝撃で波打つようにゆがみ、まるで打ち上げられた大きなクジラのようだった。風化が進み、白骨のように真っ白だ。片方には千本ほどの長いカイがばらばらになっているのが見えた。

 ワークワークたちは注意深く難破船を避けて進んだ。間近で見ると難破船の大きさがよく分かった。軍船のようにも見えるが、ひっくりかえっているのでよく分からない。いったい何があってこうなってしまったのだろう。とてつも無い力が加わったことだけは確かだ。この国にはいったい何があったのか。

 そこを抜ければテグまではわずかだった。ワークワークたちは船を隠して早朝の作戦に備えた。夜になるとまた霧が出て、ふたつの船影を隠してくれた。月が昇り霧のなかでほのかにと光った。船上では巫女が小さな龍を出して遊んでいた。ナクトン川に入ってから彼女のまやかしははっきりとした像を結ぶようになっていた。ワークワークたちはそれを眺めながら眠りに落ちた。

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2011年9月19日 (月)

ワークワークファンタジア(19)

 金官伽耶駐在の百済兵は、本国からの緊急指令で早朝からナクトン河畔でイクノの通過を待っていた。本国はワークワークの軍事行動は察知していたのだ。ただ、詳細を知らされていない現場では、なぜただの輸送船の通過を監視せねばならないか分からなかった。

 常ならばイクノは金官伽耶へ寄港して、伽耶の王族と百済の徴税官が乗り込みテグへ向かう。でも、予定の寄港日にイクノは現れなかった。数ヶ月前に行方不明になったカラノのほうは遭難したのだと思われていた。カラノは築50年以上の老朽艦だったからだ。しかしイクノはまだ10年もたっていない新造艦だ。イクノの不着は単なる航海の遅れだと思われた。金官伽耶では誰も事件には気づいていないようだった。

 朝霧のなか、静かなラグーンを高く帆を上げた白い船体が突然姿を現した。本国からの指令のとおり、イクノは金官伽耶に寄港せずにテグに向かうらしい。イクノは滑るような早さで百済兵の目前を通過していく。霧のせいで目前の一部分しか見えない。最後尾の船橋には真っ赤な晋帝国旗が翻っていた。こんな見通しの悪い早朝に、これほどの巨船を操るとはさすが海の民ワークワークだ。

 イクノが遠ざかった後、百済兵たちは目を見張った。ほぼ同じ大きさの船が現れたからだ。遭難したと思われていたカラノである。それも音もなく彼らの目前を通過すると霧の中へ消えていった。尋常ではない何かが始まろうとしてることに、ようやく百済兵たちも気づいた。本国へ伝令が飛び、金官伽耶駐在の徴税官と護衛部隊がテグへ向かった。

 イクノの通過を待っていた別のグループがいた。百済兵に気づかれないよう静かに二船が通り過ぎるのを見守っていた。金官伽耶の王族である。長いひげの伽耶の族長はそれを冷ややかに見下ろしていた。虐げられてきたワークワークを利用するアイデアは彼らが考えである。彼らの反乱は百済によってただちに鎮圧されるだろう。国も持たない彼らが、国際社会でなにかを得られるわけもない。ただし新羅も動くことで、事なかれ主義の百済は手を引かざるを得ない。そのとき伽耶は百済や新羅と同等にふるまう国としての体裁を手にするだろう。

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2011年9月15日 (木)

ワークワークファンタジア(仮)(18)

 「トモというのは、わたしたちの言葉でこれを言います。」
 トモ族の王子はそう言って腰に下げた鞆をたたいた。それは弓を放った後の反動で腕を打つ弦から身を守るための防具だ。革製のパッドで輪っかになっている。曲玉のような形をしており、有名な鞆の浦は、この形をしているからそう名付けられている。トモにはどうやら特別な意味があるらしい。弓が兵器である以上に神の降臨のための呪具であるからだろう。神降ろしによるダメージを防ぐというのがトモの役目で、それがトモ族のシンボルとなっていた。トモ族つまり大伴氏とは、弓兵である以上に神を呼び覚ます呪術の家柄だったのだ。

 彼らは船上にいた。ほんの数日だが静かな時間が流れていた。ナクトン川河口まで直線距離なら1日の行程だけど、まっすぐ行くと強烈な黒潮に流されて到着しない。日本から朝鮮半島へ行くためには、思いっきり西へ航路を取り、そのあと黒潮に乗って流れ着くのが正解だ。だから通常3日かかる。そこからテグまで1日だ(もう忘れたかも知れないが、これはワークワークのテグ攻略戦である)。

 彼らが甲板で話していると、ブリッジで巫女がなにかをしているのが見えた。馬もいる。そのまわりをたくさんの人が取り囲んで騒いでいる。巫女は小さな白く光る龍を指先に立てた。7寸だから21センチくらいか。それを少しづつ空を昇らせようとしているらしい。何度も途中で消えてやりなおしている。そのたびにワークワークたちから落胆の声がもれる。

 「はっ!」
 巫女が気合いをこめた。失敗がくやしいらしい。指先に生じた龍のようなものはウネウネと宙を昇り始めた。片方の手で大仰に操るふりをしている。小さな龍はこれまで以上に昇ることに成功した。ワークワークたちは目を見張り賞嘆の声を上げた。巫女はにやりと笑い調子に乗って歌を歌い始めた。それはワークワークに伝わる古い子守歌だった。そこに集まっていたワークワークたちはみなうっとりとした。しかし小龍は途中でパッと弾けた。パンと大きな音がして巫女に落雷した。閃光に目がくらみ、その場にいた全員の目が目をまわして倒れた。

 「また失敗しましたね。」
 そう言ってトモ族の王子は笑った。将軍は、うーむと言って腕を組んだまま天を見上げた。開戦まであと2日。

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2011年9月13日 (火)

ワークワークファンタジア(仮)(17)

 ここまで巫女キャラが立った以上、小説と断ったほうが読み手の立ち位置が定まって読みやすい、とかみさんが言います。だから作品にタイトルを付けろと、それは(仮)でもいいから付けろと、そう言うので付けてみた。「ワークワークファンタジア(仮)」 これは(仮)ではなく(笑)ではないのか。まっ(仮)だからいっか。

 「どうも早すぎる気がするのですが」
 司令に選ばれたトモ族の王子が将軍に相談にやってきた。演習が終わった夜の浜辺だ。もうすぐカラノをシージャックしてから2ヶ月になる。計画通りなら将軍派の武将がイクノを奪取しているころだ。2隻揃ったところで出陣の予定である。演習も仕上げの段階で、二手に分かれて模擬戦を行っている。騎馬で敵陣を切り裂き、そこへ歩兵が突入するという単純な陣形なのだが、騎馬と歩兵とが離れすぎるのは将軍も気になりはじめていた。
「もし戦場でもこの通りだと、兵が馬についていけません。敵陣はすぐさま立て直されて歩兵が押し返されるばかりか、騎馬も後方で孤立して撃破されるように思います。」

 彼の言う通りだった。ワークワークの騎馬は早さが最大の魅力だが、そのために墓穴を掘ることにもなりかねない。かと言って騎馬だけでは戦力にならない。馬と歩兵とのコンビネーションが最大のポイントなのだ。
 「わたしに考えがあるのですが、聞いていただけますか。」
 王子はいつもこんな感じだ。丁寧と言うか、慇懃と言うか、まるで武官とは思えない。まあ、ワークワークに官僚はいないので、武官も文官もないのだが。

 彼の考えは早期の撤収を考えて船に弓兵を残しておくと言うものだった。トモ族は弓の家柄だ。近射も遠射も思いのままで、これはワークワーク軍の隠れた強みだった。ただ、相手方の兵力の規模が分からない以上、全力で当たるのが定石で兵力の分散は避けたかった。
 「そうでしょうね。わたしもそう思います。でも今のままでは、戦場で分解する陣形が目に浮かぶようで・・・」
 そこまで言って王子は目を見張った。何かを見つけて驚いているようだった。王子の見ているほうを振り向いて将軍も驚いた。音もなく巨大な白い船体が浜辺へ入ってくるところだった。時間切れである。

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2011年9月12日 (月)

古墳時代(16)

 わらわの日常を考えてみた。彼女は山に付く巫女である。古来、人は死ぬと山へ帰ると言われてきたが、山に対する信仰は弥生時代になってからではないかと私は思っている。なぜなら、山でなければならない理由が易経ならば二通り考えられるからだ。ひとつは山が八白の土星であること。易経では山は少年を意味するので、八瀬童子などの山にいる童子はこれだと思う。

 たった今気がついたが、八瀬童子の八瀬は初瀬(はつせ)とか長谷(はせ)と同義だな。死者の帰る山、そこには少年の姿の童子がいる。易経のもっとも大切なふたつの卦(か)の形のうちのひとつが「地山謙(ちざんけん)」で、この場合の山とは八白土星の艮(うしとら)つまり少年を意味するわけだ。地は母を意味するので「地山謙」とは地母神に愛された少年というイメージになる。もうひとつ大切な卦形がこれまで再々出てきた「天沢履(てんたくり)」だ。天が天父を沢は少女を示す。だから、こっちは天神に愛された幼女というイメージになる。わらわはこの幼女としてこの物語に登場している。

 ちなみに、このふたつの卦(か)の形は必ずセットになっているので、どちらか一方だけでは存在できないだろう。こうした易経の考え方は儒教のものだが、わたしは古墳時代の巫女の姿は道教的なもののように思えてならない。儒教ならば女性が前に出てくることは理論的にあり得ない。一方道教のほうは、初期のころから女性の教主が多かった。まあ、このあたりはまだよく分からないけどね。

 というわけで彼女は山に付く巫女である。易経は3段階でものごとを考えるから、神を祀る斎場も当然3つになる。山頂と山腹と山裾だ。山頂は天神の降りる場所、山腹は死者との別れの場所だろう。そして山裾の斎場は、天神への供え物をするための場所だと思う。一般人は山へ入れないので、山の前で天神の食事を用意して供えるわけだ。それは毎日では無く、ある一定期間ごとに行われた祭りであったはずだ。わたしはこれが市場の起源だと思う。市場とは神に捧げ物をし、そのお下がりを交換する場所というわけだ。物流の拠点からは、必ず神の山が見えたはずだし、それを祀るわらわのような巫女がいたのだと思う。

 その日は月に一度の市の日だった。この日ばかりは戦もしてはならぬ。紛争当事者同士であっても、天神への供物を持って集わねばならなかった。わらわのような市の巫女が紛争の調停者になるのはこのためだ。早朝から祭りは始まる。山腹の拠点から、巫女たちは楽隊の先導で河原まで下りてくる。その風変わりな楽の音につられて近在のこどもたちが集まってくる。祭りはこどもたちをもてなすものでもあった。なぜなら少年は地母神のお使いだからだ。

 わらわはうんざりしていた。当日までの潔斎が苦痛だった。でもただひとつの楽しみは、平生では食すことのできない蒸した甘いモチ(つまりチマキなのだが)を山ほどもらえることだった。彼女は天神そのものだったから、供え物のすべては彼女のもののはずだったがそんなわけはなく、祭りの後でもらえるのは賞味期限当日限りの菓子類だけだった。彼女はそれらを集まったこどもたちに、つまり聖なる童子たちに分け与えるのだが、それはある種の狂乱状態を呼び起こした。

 彼女は笑いながら菓子をまき散らした。こどもたちは菓子を求めて彼女を追いかけた。彼女は群がるこどもたちを渦に巻き込むように走りまわった。こどもたちは菓子が欲しいのか、走り回るのがおもしろいのか斎場を駆け巡った。供え物の台がひっくり返され、菓子が撒き散らされ、幕が引きはがされ、あらゆる破壊が行われ、それが祭りを完成させた。最後にわらわと子供たちは大笑いをしながらその場に倒れてしまう。倒れてもなお笑いが止まらない。このとき、市場には確かに天神が降臨していたのだ。大人たちは苦笑しながら遠巻きにその狂乱を眺めている。この狂乱は決して触っていけないものなのだ。わらわはその自由な瞬間が、この上もなくいとおしかった。口の中で溶ろける甘い菓子こそ彼女にとっての本当の食事だと感じた。

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2011年9月10日 (土)

古墳時代(15)

 キャラにセリフを言わせることだけは避けたかった。そうすると決めないといけないことが一杯出て来る。たとえば巫女の名前とか。まあ、考えてないわけではないが、登場人物の名前をすべて決めるなんて面倒なことができるか。まあいいか。なるようになるか。

 ワークワークたちの騒ぎを後に将軍はひとりカイの足跡をたどった。将軍はあのできごとが何だったのか分からず混乱していた。神話時代にしか起こらないようなことが目の前で繰り広げられていたわけだ。すぐに受け入れられるわけでもない。ワークワークたちが顔をこわばらせていた理由はあれだったのだ。彼らはすでに体験済みだったわけだ。それが議事堂で族長のひとりが死んだ一件だったのだろう。

 将軍がもうひとつ分からなかったのは今回の人選だった。選ばれた彼は優秀だが司令というよりも参謀タイプだ。なぜ彼で無ければならないのか。その意味は何なのだろう。満天の星明かりが砂浜を白く輝かせていた。さほど遠くない浜辺に馬と巫女はいた。さきほど聞いた伽耶楽が耳の奥にかすかによみがえってきた。

 巫女は座っているようすだった。陰になって表情は見えない。馬は静かに草を喰っている。この馬は教練になると呼びもしないのに駆けてきて大暴れする。こいつは若くもないし軍馬でもない。神馬のはずなんだが、ここにいる騎馬のなかでもっとも凶暴だった。それが今はしおらしく草を食(は)んでいる。まあ、こいつはそういうやつだ。

 巫女がかすれた声で言った。
 「おまえも見たのだろう。・・・あれが神慮というものだ。」
 将軍は黙って聞いていた。馬も聞いているようだった。巫女は続けた。
 「わらわには常に聞こえておる。あの5拍の楽がな。それに天神の声もな。声と言うても人の声とは違う。やはり楽のようなものだ。」
 そこで言葉は途切れ、巫女は星空を見上げた。その白い頬に涙の跡が光っていた。どうやら泣いていたようだ。
 巫女は話を続けた。
 「さきほどのあれはな、半分は芝居じゃ。わらわがあの場所に赴いたには、あの男を軍の司令にせよと天が言うたからじゃ。わらわは気が進まなかったが、神慮ならば仕方あるまい。・・・だから、あのような大仰なことをせずとも、この口でおまえが司令じゃと言うてやればそれで良かったのじゃ。」
 「しかしな、人というものは徴(しるし)を求めるものじゃ。そこであのような大仰なまやかしを行った。」
 そう言うと巫女は指を小さく立てて見せた。指先からはピリピリと先ほど見たような光が小さく立ち昇った。まるで伝説の龍がうごめいているように見えた。

 そこで巫女は笑った。乾いた泣くような短い笑いだった。日頃見せない巫女のようすに将軍は当惑していた。巫女は話を続けた。
 「これはそなたが倭人ではないから言うのじゃよ・・・。」
 そういえば、ここにいるのは外国人と馬だけだった。
 「そなたはなぜあの男が選ばれたのか不思議に思っておるのじゃろ。あやつには戦地で果たす役廻りが待っておる。それが何なのか、わらわにはよう分からぬが、あの男のおかげでわれらは国へ戻ることができるらしい。しかし。そのためにあの男は不幸になるであろう。天が定めた役廻りが選ばれた者の器に必ずしも合うとは限らないのじゃ。言うてみれば、あの男は贄(にえ)じゃ。・・・まあ、それはわらわとて同じじゃがな。」
 そう言って巫女は初めて将軍を見た。
 「わらわはな、別に弱音を吐いているわけではないぞ。わらわが贄なのは最初から分かっていたことじゃ。わらわにはな、わらわを支えてくれるものたちがいる。それはそなたもじゃぞ。だがな、わらわの役廻りは時におのれの器を超えてしまう。天神の声は今も聞こえておるのに、どうすれば良いのか分からなくなるのじゃ。」

 そう言い終わると巫女は泣いた。楽の音は止んでいた。遠くでワークワークたちが騒いでいるのがここまで聞こえてきた。波の音が響く。馬が近づき巫女の顔に頬を寄せた。将軍は満点の星空を見上げていた。

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2011年9月 9日 (金)

古墳時代(14)

 キャラを立てないと決めていたのに勝手に立ってしまった。それで長くなっている。キャラを入れると物語にエピソードを入れなきゃならないから面倒だ。早く出撃したいんだが、ここでもうひとつエピソードを入れて伏線を張っておかなくちゃならない。ああ、めんどくさい。

 翌朝、浜からカラノは消えていた。ワークワークたちがどこかへ隠したらしい。あれだけ大きな船を知らないあいだに移動させるとは、彼らの操船技術は相当なものである。イクノの奪取までの2ヶ月間、将軍たちはワークワークとの教練にはげむことになった。将軍は彼らから完全に信頼されていて軍事顧問的な立場だった。彼らは巫女との剣術を見て将軍の強さを知っていたから顧問というより師匠という感じか。

 おもしろいのは騎馬戦で、ワークワークたちは軽騎兵なのだが、あまりにも自由過ぎる。最初見たときう~んとうなってしまった。ひとつの目標に向かっててんでに追いかけ殺到する。追いかける時はそれに夢中で無防備だし、殺到すれば身動きできない。何をやっているのかよく分からない。そのかわり少々の障害物は軽々と飛び越えていく。これは百済の正規軍にはマネのできない馬術だった。早さこそが彼らの持ち味だった。

 まず将軍は彼らに密集隊形を教えた。そうすることでスピードは多少落ちるが、ばらばらに撃破されるリスクは大幅に減る。次に歩兵との連携を教えた。今までは歩兵もてんでに突き進んでいくので陣形が保てない。簡単なパターンをいくつか教えたところすぐに覚えた。ワークワークは案外器用だ。

 彼らは長いあいだ鉄をめぐってお互い争ってきたので実戦の蓄積はそれなりにあった。ただし、大がかりな軍事作戦は今回が初めてである。教練を初めてすぐに分かったのだが、どうやら司令官がいないらしい。各部族のリーダーが自分の部隊を動かしているだけで、お互いの連携はない。しばらくは様子を見ていたが、これではどうにも統一的な作戦行動は無理で、同士討ちの危険さえあった。

 ある夜、教練が終わったあとワークワークたちを浜に集めてそう言ってやった。同じことは彼らも感じていたらしく、活発に議論が始まった。後は彼らが結論を出すだろう。兵力を持たない亡命者である彼はそれを見守ることしかできない。議論が白熱してきたころ、カイに乗った巫女がゆらりと現れた。ワークワークたちはそれに気づかなかった。日は暮れ、たき火を囲んで盛んに議論している。議論はどうやって公平に司令官を選び出すのか、ということに収斂していった。

 馬上から巫女が声をかけた。
 「わらわがその願いかなえてつかわそう。」
 ワークワークたちははっとして彼女を見た。驚きと恐れの入り交じった視線だ。こんな風に動揺するワークワークたちを見るのは初めてだ。巫女は馬上で呪文のように言葉を続けた。詩の詠唱のようでもある。ワークワークたちは凍り付いたように動けなくなっていた。巫女はあやしい光に包まれ、高くかかげた指先から夜空へ向けて一筋の光が立ち昇った。その光は上空でパッと弾けると雷光となり見上げた全員の目がくらんだ。

 奇跡が起きていた。楽の音が聞こえていた。5拍子の伽耶楽だ。あたりはあやしい光に包まれ、そこにいた全員が見上げた天空から大きな雪玉のような光が降りてくるのを見ていた。それはゆっくりゆっくり降りてきて、ある若い戦士の身体に吸い込まれて消えた。楽の音はやんでいた。たき火の弾ける音と、波の音が戻ってきた。ワークワークたちのあいだに驚きとざわめきが起きた。選ばれた戦士はトモ族の王子だった。戦士としては強くないが、いつも沈着冷静な彼なら司令官に相応しいだろう。ワークワークたちは新しい司令官の誕生を喜び合った。巫女はすでにその場を離れ、カイとともに遠ざかっていった。

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2011年9月 8日 (木)

古墳時代(13)

 受けてみるかと巫女が聞いた。聞いたときには剣を抜いて構えていた。下段の構えで百済の流儀ではない。将軍は仕方なく長剣で受け身をとった。巫女は不思議なステップを踏んでいる。まるで舞うようだ。細身の剣がひらりひらりと円弧を描き、ある一定の場所で一瞬向きを変えると将軍に打ち込まれた。受けるとカンと剣が響く。音だけ聞いていると軽い打ち込みのようだが、その実しっかりとした重さがあることが将軍には分かった。

 相当鍛錬された戦士だ。どこでこの剣技を覚えたのだろう。巫女になる以前に戦士として育てられたようにも見える。巫女はもっとこどもだと思っていたが、こうして対面しているとそうでも無いように見える。12~3歳にはなるのではないか。巫女制度が天沢履の形であるならば、巫女は少女にあたるのでそのぎりぎりか。それとも易以外の原理があるのだろうか。

 受けている間に将軍にはこの剣舞のリズムが分かってきた。5拍子である。これは伽耶楽の一種だ。百済には伝わっていない古いタイプの楽だ。楽とは天神を祀るための音楽のことで、律とも呼ばれる。世界の始めに生まれた気の律動のようなもので、それを楽によって再現するのが天神を祀る祭祀だ。この剣舞は伽耶楽になっている。最初はゆっくり始まったが少しづつ早くなっていった。5回に1度の打ち込みだったのが2度になり3度になり次第に増える。間合いを執るために将軍が巫女の剣を払うと、するりと抜けてとんとんと軽くステップを踏み直すがリズムは一向に乱れない。そのうちに不意に打ち込んでくるのか、それともワークワークの剣技はこうなのか。

 剣を左右に小さく振りながら将軍を打っていたが、回数がさらに増え始めた。5拍子で5度で終わりかと思ったらそうではなく、拍子1回につき2度打つ部分が混じった。それが次第に増えて、最後は5拍子で10度になった。巫女は息を切らすふうでもなく、軽々と舞いながら打ち続けている。次第に将軍に余裕が無くなってきた。おそらく次は一拍子3度打ちが入るのだろう。そうなるともう受けきれない。

 まわりには人だかりができていた。ワークワークたちは息を飲んでこの打ち合いを見ている。将軍の下士官たちも同じような顔で見ていた。あまりに精密な打ち合いなので声をかけたり手を出したりする間合いがまったくなかった。将軍はこの手合わせを終わらせるために大きく間合いを取ろうと思った。気合いを込め長剣であたりを低く大きく払おうとしたとたん、ふたりの間に女官が割って入った。割って入る間など無かったと思うのだが、気がつくとそこにすっと立っていた。なぜこの国には気配を感じさせない人物が多いのか。

 そこまでですと女官は言ったが、巫女はにやりと笑ってじりじりと女官の陰から出ようとした。まだ続ける気満々なのだ。女官は一瞬それを見てとると、呼び子を吹いてよく通る声で誰かを呼んだ。巫女の顔色がさっと変わった。今度は眉間にしわを寄せてじりじりと下がっていく。浜の先からなにかが砂を蹴散らせて走ってきた。それは栗毛の馬だった。馬と言っても今のサラブレットのような背の高いものではない。この当時の馬はポニーくらいしかなく、脚が太くて気の荒い馬だ。それが女官に走り寄ると首をすりつけてきた。女官は目を細めて馬の首をなででやった。そして巫女のほうを見た。馬も同じ顔で巫女を見た。まわりにいた者たちも同じように巫女を見た。巫女はおびえるように後じさりをしている。女官は一瞬にして巫女を抱えあげると馬の背に放り上げ、馬の尻を打った。馬は巫女を乗せたまま元来た方へ走り去っていった。集まっていたワークワークたちは一斉にどっと笑った。

 女官は恥ずかしそうにほほえむと、あの馬はカイという名前だと言った。巫女が幼いころから一緒にいる姉妹のようなものなのだそうだ。将軍は女官が笑ったのを初めてみた。そしてこっちのほうが本当の女王なのではないかと思った。

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2011年9月 6日 (火)

古墳時代(12)

 巫女団は退場し酒宴となった。言葉はまったく通じないが友好的なのは分かった。初対面の亡命者に何の疑惑も抱いていないようすだった。今回の作戦は彼らが主役となる。百済はワークワークを奴隷のように扱ってきた。運搬船のこぎ手が彼らなのはそのためだ。その彼らが百済に対抗する「国」として振る舞おうとしている。純朴なままでは冷徹な国際情勢のなかで生き残ることは難しかろう。しかし次々と将軍の前に出て来る族長たちの身のこなしは確かに戦士のものだった。ただ不思議なのは、それほど酒に強くないということだ。最後には広い議場のなかで将軍ひとりが酒を飲んでいた。

 翌日彼にはあだ名がついていた。ワークワークたちは彼のことをタケ将軍と呼んだ。どうやら大きいという意味らしい。浜を歩いていると興味深げに次々と話かけてくる。この人なつこさは百済人にはない特性だ。カラノからは鉄が次々と運び出されていた。カラノは後部デッキの下が開いて船倉に直接出入りできるようになっている。基本構造は軍事行動用の上陸用舟艇なのだ。そこから議事堂裏の高床式倉庫まで、まるでアリの行列のようにワークワークが並んで鉄の入った木箱を運んでいた。

 港にはワークワークの軍船が並んでいた。20~30人乗りの色とりどりに塗られたカヌーだ。それが100隻ほどあり、現状の兵力はここに集まっているもので2000名程度らしい。彼らは早朝から手分けをしてワークワークの戦力分析を始めていたのだ。浜に立ちワークワークを眺める風を装いながら報告を受けていると、すぐ後ろから朝鮮語で話しかけるものがあった。聞かれたかと思いはっと振り返ると、昨日キビ族とともにいた黒衣の男が立っていた。

 道士の姿なのだが、特殊なゲートルをはいているのが目についた。歩兵の山岳踏破作戦用の装備だ。歳は自分より若いようだが、やせて実年齢よりも老けて見える。百済人ではなく鮮卑族だろう。一瞬そう見ながらも大仰に驚いて見せながら、ほほえんで丁重にあいさつを返した。彼は金官伽耶の鉱物探査官だと名乗った。もともとは晋朝の鉱物探査を専門とする家柄で、晋が滅んだ50年前にこの地で新しい鉄の鉱脈を見つけたところだったそうだ。その後金官伽耶と協力して少しづつ鉄の生産を始めているという。それがキビ族の領域なので、自分たちはキビ族の食客のような立場だと言った。

 ワークワークの土地から鉄が出るというのは初めて聞いた。百済の高官でも知らないのだから、東晋も知らないだろう。どれほどの量だか分からないが、対馬海峡をはさんで地脈が通じているのだとすればあり得ない話ではない。だからこそ今回の鉄がらみの作戦でキビ族がイニシアチブを執ることも納得がいく。この男が特殊なゲートルを巻いているのも、山岳系の特殊部隊なのだと考えれば分かる。でも何か釈然としないものがあった。それが何だか分からないが、もし彼が官僚であるなあらばこんな冒険をするだろうか。彼の後ろになにかの組織があるのではないか。

 そのことには触れずに、気になっていたことを男に尋ねてみた。昨日会った巫女のことだ。彼女は何者だなのだろう。男の目が一瞬光ったのが分かった。まず気をつけたほうが良いと男は将軍に忠告した。彼女は鬼道を行うが、それは道教とは異なるものでワークワーク特有のものだと言う。とくに今回の部族会議の最中にあやかしを行い、遠征反対派の族長が死んだという。それ以来、彼女はワークワークたちのカリスマとなり、彼らは遠征が成功すると信じて疑わないのだという。男は深々と礼をして去っていった。その身のこなしは、やはり特殊部隊のそれだと思った(ようするに忍者ね)。

 入れ替わりに巫女団の一行と出会った。カラノの視察に来たらしい。巫女は軽装で、巫女と言うよりも戦士の姿だった。やはり衣装には赤い幾何学模様模様が入っている(これって雷文なんだな。言わずもがなだがアイヌの衣装だよ)。赤が巫女のカラーであるのは「天沢履」の易経にならっているのだろう。

 ひときわ目に付くのは腰に下げた青いさやの剣だ。剣に目がいくところは軍人のさがだ。将軍一行はひざまづいて昨日の礼を言った。巫女は「良い」とひとこと言った。初めて彼女の声を聞いた。よく通る声で、カリスマと言うよりはもっとざっくばらんな男っぽいところがあった。この剣が気になるかと言った。この巫女は朝鮮語を話していた。次第に分かってくるのだが、ワークワークたちはある程度朝鮮語を理解している。

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2011年9月 5日 (月)

古墳時代(11)

 やっぱり時間が無いから少しだけ。妄想ではすでに3つくらい山を越えているのに、まだ最初の山にさえ至らないていたらく。書くことが妄想に追いつかない。

 将軍は顔を上げて階級と氏名を述べた。よく通る声だった。ワークワークの族長たちは目をまんまるにして聴いていたが、将軍の言葉が終わるといっせいに女官を見た。女官は彼の名前を言い、彼の階級を解説した。族長たちはなんだか分からないけど強そうだとどよめいた。次いで将軍はここへ至った理由を述べた。それははっきりしている。高句麗の脅威から祖国を守るために、金官伽耶の鉄を押さえることだ。ワークワークたちはまた一斉に女官を見た。彼女は彼の言ったことを分かりやすく通訳してやった。金官伽耶の権益を手にいれると言うことはワークワークたちの目的と完全に一致していた。

 ほどなく活発な議論が始まった。軍議の闊達さは将軍の好むところである。律令官僚たちとの陰湿な政治的取引に終始していた彼は、久しぶりに快活な気分を味わった。ワークワークたちの間には明確な上下関係は無いらしく、誰もが自由に発言しているように見えた。若い国の自由さがここにはあった。百済の儀礼的な閣議とは雲泥の差である。彼はこいつらとはともに戦えると直感していた。

 注意深く見ていると、キビと呼ばれる族長が議長役なのが分かった。彼は自分の意見を言わず、公平な議長役を務めているようだった。さきほど気づいた外国人は彼の参謀役のようである。問われて一言二言助言している様子がうかがえた。将軍は彼がこの作戦の黒幕であろうと見抜いていた。さほど時をおかず衆議は一決し、この大男の亡命者をワークワークの友人として受け入れることが決まった。キビの族長が結論を延べ、参加したワークワークたちは真剣な面持ちでうなづき拍手で賛意を示した。女官がそれを通訳すると将軍は深々と頭を下げ礼を述べた。その通訳を聞いてワークワークたちは、手をたたいて喜びあった。

 引き続き貢ぎ物を開いていった。これらは本来百済が東晋へ贈るものだった。織物や翡翠紅玉などの半島南部の諸産物が次々と箱から取り出された。東晋にとってはさほど魅力もない物産であっても、ワークワークたちは大喜びだった。最後に分銅型をした薄い鉄板の束がワークワークの前に並べられた。これがカラノが東晋へ運ぼうとしていた伽耶の鉄である。その見本を並べただけではあるが、ワークワークたちの息をのんだ。これほどの鉄が運ばれていたのか。この薄板の数十枚もあれば自分の国は十分だ。将軍はよく通る声で言った。船にはここにある見本の500倍の鉄があり、毎年その5倍の鉄が東晋へ運ばれているのだと。ワークワークたちは改めて帝国の大きさを知ったのだった。

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2011年9月 4日 (日)

古墳時代(10)

 時間が無いので手短に。すまんが「である」調に変えさせてもらう。そうしないとテンポが出ない。

 将軍のまわりには物珍しげにワークワークの兵士たちが集まってきた。兵士たちはおおむね水兵らしい。カラノの船員たちとさほど違った姿をしていない。どういう事情で彼らがこの作戦に参加するようになったのか将軍は知らされてはいなかった。作戦の全貌を知っているわけではなかったのだ。海を見渡せる丘の上に大きな建屋があった。切妻のわらぶき屋根で、棟には鰹木が並び破風飾りは5色に彩られていた。高床ではなく竪穴式だ。着飾ってカラフルな盾を持った儀丈兵のあいだを通り、一行は建物のなかへと導かれた。ここがワークワークたちの議事場であるらしい。

 どこから光が入ってくるのか中は案外明るかった。目が慣れるとそこに集まっているのがワークワークの族長たちであることが一見して分かる。100名程が両側に分かれて座っていた。族長たちは鬚面でミズラを結い頭に柄の入った布を巻いている。ゆったりとした着物を着て縞柄の帯を締め、その上から幾何学模様の入った袖なしの上着を着ていた。柄はそれぞれの種族を表しているようで、お互いをそれで見分けているようだ。彼らは将軍一行と運び込まれる貢ぎ物とを興味深げに交互に眺めながら騒いでいた。

 将軍が座についてしばらくするとワークワークの頭目が現れた。それはこどもの巫女だった。長い髪を髷に結って残りを後ろへ垂らしている。赤い幾何学模様の筒袖をまとい、玉製の首輪と腕輪を付けていた。とんとんと出て来ると上席にすとんとあぐらをかいた。彼女のまわりには同じような姿の巫女たちが並んで座った。族長たちは、はいつくばってそれを迎えた。将軍も同様に頭を下げていると女官の声が聞こえた。少し目を上げると、族長たちがこちらを見ている。女官は今度は朝鮮語で語りかけた。名を名のり、ここへ来た理由を述べよ。そのとき、彼は議場内に外国人がいることに気づいた。

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2011年9月 3日 (土)

古墳時代(9)

 カラノはハン川を出て黄海へ乗り出し、十分陸地から離れたところで乗っ取られました。百済の都ハン城から乗り込んだ主戦派の将軍が指揮を執った。ワークワークとはかねて示し合わせていましたから、百済の官僚と東晋の航海士と護衛兵を排除するだけで船は手に入りました。カラノは向きを変え、ワークワークの本拠地へ向かった。そのまま、もう一隻が手に入るまで隠しておくのです。

 将軍はかねてから、百済の律令官僚に我慢ならなかった。晋が滅んでもなお、帝国の幻影にとらわれているのはばかげていると思っていたのです。すでに、高句麗へ走った仲間からは、百済攻めの情報が入っていた。百済は東晋の威信をかさに高句麗を抑えていると思っていますが、楽浪郡を併呑した高句麗はそんなことはなんとも思っていません。百済は、こうして鉄を江南へ送っておけば、もし高句麗が攻めてきても東晋の援軍があろうと思っている。その証拠にこの50年間何事も無く過ごしたではないか。晋は大帝国でしたから、一夜のうちに無くなるとは誰も思っていなかったのです。

 この50年間、高句麗が動けなかったのは東晋を恐れていたからではありません。ひとえに匈奴の建てた燕国との戦争に明け暮れていたからです。とりあえず鉄が入ってくるのであれば、百済はそれほどの脅威でもなんでもない。そう考えていただけです。百済の律令官僚と楽浪郡の律令官僚はもともと帝国システムの中で同じ仕事をしていた仲ですから、鉄の流通さえ適正であれば問題は無いと考えていた。高句麗は楽浪郡の元官僚が運営していましたから、百済との間にはある種の妥協が成立していたのです。

 ところが事情が大きく変わった。楽浪郡の官僚は燕国との同盟へ政策転換しました。どう考えても今のまま燕国との戦争を続けても、国力が疲弊するだけです。もう20年たって、東晋の力の無さも良く分かった。ここはひとつ高句麗が軸となって、極東アジアの新秩序を作ったほうが良いのではないか。つまり、燕国がこのまま大きくなって、再び中国を統一するならば、そこへ参加したほうが賢明ではないか。なんというか、ご都合主義以外の何ものでもありませんが高句麗を牛耳っていた律令官僚はそんな考えでした。

 講和は案外たやすく成立し、さらに共同して半島の統一に乗り出すことになった。それが355年のことです。高句麗は燕国の征東大将軍に任じられました。以前の百済の立場に高句麗が立ったわけです。高句麗は燕国の前衛となって、半島各地域への軍事行動の準備に入っていました。それにもかかわらず、百済は高句麗に鉄を送っていたのです。

 カラノは大きな帆を揚げて関門海峡を通り抜けました。ここから先は、まったくワークワークの領域で、地図もなにもない未踏の地です。船は下関市の長府へ入ったと思います。ワークワークたちは見たこともない巨船に驚いたことでしょう。今で言えば、巨大な宇宙船が着陸したようなものです。積荷の大量の鉄にも驚いたはずです。たいへんな騒ぎのなかで、将軍一行はワークワークの頭目との面談のため船を下りました。

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2011年9月 2日 (金)

古墳時代(8)

 船は輸送船ですが、鉄を運ぶ船ですからけっこうでかい。鉄を500トン運ぶことができた。兵員ならば、単独で軍事行動が可能な1個中隊が輸送可能です。中隊とは歩兵100名と兵一個小隊30騎程度でしょうか。後方支援の要員も加わりますから150名ほどが中隊規模でしょう。操船は外洋では帆を上げますが、河川や運河では人力による。左舷100名、右舷100名の計200名のこぎ手が上下2段に並びました。船長さは100メートル近くなります。底の平たい箱のような感じの船で船尾がせり上がってブリッジとなり、赤い帝国旗がひるがえっていました。船は2隻あって名前は「カラノ」と「イクノ」。カラノはカラスのように黒い船でイクノは白ウサギのように白い船でした。この鉄の輸送船の操船をしていたのがワークワークでした。

 この船が交互に行き来していました。運行季節は天候の安定する春から秋までで、基本的には沿岸伝いの航法です。金官伽耶から積み出して、百済の都・漢城でチェックを受けた後、黄海を渡って黄河へ入り晋の都・洛陽へ向かいました。1ヶ月程度で到着したようです。早いな。2隻で2往復が標準です。考えてみれば、こんな船が周辺諸国から都へ集まってきていたわけですから、黄河は今のスエズ運河のようなにぎわいだったでしょう。

 晋は滅びますが、帝国南部に生き残りの晋王朝がありました。晋と区別するために今では東晋と呼び、都は揚子江流域の建康でした。正式には晋は滅んでおらず、臨時に遷都したという形式になっている。いずれ洛陽へ戻るというわけですが、それが実現することはありませんでした。でも当時はほどなく帝国が復活すると思っていたもののほうが多かったでしょう。ですから一時の混乱の後、鉄の輸送は行き先を建康に変えて再開されたようです。

 一方、楽浪郡と帯方郡を濡れ手に粟で手に入れた高句麗は、まず晋帝国を滅ぼした匈奴の侵入を防がねばならなりませんでした。それなりに善戦できたのは、晋の遺産をそのまま引き継いだからでしょう。楽浪郡や帯方郡は危機回避のために一時的に高句麗に帰順したわけです。高句麗には最新鋭の帝国の軍隊とそれを運用する律令制度を手に入れることができた。それを元手に実戦を通して最強の軍制を確立しようとしていました。それはもちろん半島南部からの鉄の安定的な供給があってこそのことです。百済は高句麗が匈奴の防壁となっている以上、それなりの融通をしたと思われます。そうして高句麗が強大化するのを不安に見ていた。

 こうして帝国滅亡から20年が経過し、百済王朝は2つの派閥に分かれていました。ひとつは晋の復興を期待する考えです。高句麗が引き揚げ楽浪郡と帯方郡が復活し、半島南部の盟主としての勢威を取り戻すという平和主義的な考えです。当時はまだ、帝国の正式な継承者として東晋がありましたから、こちらのほうが現実的に見えたことでしょう。もうひとつは匈奴や高句麗に独力で対抗できる力を養うべきだという主戦論。そのためには新興の新羅と共同の戦線を張り、手もとにある鉄資源を最大限に活かした外交を進めるべきだとしました。百済王は前者だった。この2派の主導権争いは世継ぎ問題にからんで深刻になっていきました。

 国境の部族が大挙して高句麗に走ったのは、この内部抗争に身の危険を感じたからでしょう。もともと帯方郡と百済とは帝国の経済政策上一体的に運営されていたわけですから、お互いそれほど敵対視していたわけでもない。この抗争のさなかに倭国による卓淳国の接収が行われました。それは百済の反国王派が秘密裏に画策したものだったと私は思います。

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2011年9月 1日 (木)

古墳時代(7)

 晋帝国が滅亡するのは316年ですが、最初に動いたのは倭国でした。

366年 倭国のシマノスクネというものが伽耶の卓淳国に行ったが、そこで百済が倭国と通好したがっていることを聞いたので使者を百済へ送った。百済の近肖古王はその使者に綾絹などを贈った。(神功紀46年条)

 帝国の残した技術は、鉄器を使った大規模な開発だけではなく、馬と船もありました。馬や船の第一の目的は運搬でしょう。帝国とはつまるところ自由な交通の保証です。物資が大量に動くことによる広域経済こそ帝国の実体でした。だから馬や船が帝国の本体で、その結果農業が大規模化すると考えても良い。帝国軍隊とは領土的野心が動機ではなく、交通の安全保障を目的としています。それが通貨の安定につながって広域経済が一体的に動くわけです。

 広域な自由交通は一見合理的に見えますが、その実保守運営の費用がかさみ過ぎる。だから、帝国は100年内に交通の直営を維持できなくなるのが常です。晋もそうだったと思うのですが、帝国が破綻し経済が地域経済に分割されます。まあ、われわれが今話している場所の通貨は塩だったでしょうから、相場が元へ戻っただけですけど。

 伽耶の中央にはナクトン川(洛東江)という大きな川が流れていて、その中流のテグ(大邱)が卓淳国だと言われています。そこへ倭国の使いが行ったと年表は言います。つまりそれは鉱山の接収に最初に乗り出したのが倭国だったということでしょう。あわてたのが朝鮮南部の盟主たる百済でした。卓淳国は新羅と接していますから、不用意に軍事行動はとれない。そこでまず外交努力で問題を解決しようとしたようです。とりあえずお宝を渡して機嫌をとっておけと。乱暴者だけど単純な倭人はそれを結構よろこんだようです。

 晋は朝鮮半島北部に楽浪郡と帯方郡を置いて直接支配しましたが、ソウルのあるハン川(漢江)流域から南方は直接統治の圏外で、服従さえ誓えば自由にさせました。百済は半島南部諸国の盟主的存在で、諸部族と帝国の仲介役だったようです。鉄資源については当然帝国が押さえていたでしょう。伽耶から帝国へ至るルートを百済に管理させていたはずです。おもしろいのは金官伽耶がナクトン川河口に近い港町・金海だと考えられていること。ここに帝国船団の基地があったわけだ。

 倭国が当時どこにあったのか分かりませんが、神功皇后は九州の筑紫にいましたから、そのあたりに倭国はあったと考えるのが自然でしょう。そもそも倭(わ)とは東シナ海沿岸に住む海民・ワークワークのことです。ワークワークたちが船団の乗組員だったのでしょう。帝国無きあと船団はまるごとワークワークの手に落ちた。これは倭にとって幸運だったのか不幸だったのか分かりませんが、少なくとも百済や伽耶諸国にとっては不幸以外の何者でもなかったでしょう。

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