2011年8月30日 (火)

古墳時代(5)

 古墳時代がいつ始まったのかはそれほど明確ではありません。通説では4世紀が始まるころとされています。卑弥呼が3世紀半ばですが、魏志倭人伝には卑弥呼の墓は円墳のように書かれています。考古学的には4世紀はじめごろには前方後円墳が増える。ですから3世紀後半から4世紀はじめにかけて、古墳時代つまり大規模開発の時代が始まったと考えて良いでしょう。

 さて、中国で帝国が成立すると東アジア情勢は安定するようです。唐と平安朝、宋と鎌倉幕府、明と江戸幕府という具合です。では4世紀ころの中国はどうだったかと言えばバラバラになっている。卑弥呼のころは三国時代と言って、魏呉蜀に分かれている。3世紀後半には晋が統一をはたし久しぶりの帝国が出現しますが、4世紀に入ってほどなく破綻し五胡十六国時代となる。三国よりもバラバラになってしまう。その結果中国は朝鮮半島から撤退しました。極東アジアは、半島北部の高句麗(こうくり)、東部の新羅(しらぎ)、西部の百済(くだら)、そして半島南部の伽耶諸国と日本列島の倭(わ)に分かれるわけです。

 帝国の分裂と古墳時代の始まりとは関係があるように見えます。大規模な開発が可能になるとは、農業土木の分野で技術革新が行われたことを示しますが、その技術は帝国の分裂によって技術者とともに周辺諸国へ拡散したのでしょう。技術というか文明は、統合されないと意味がない。技術が大きければ大きいほど、蛍光灯1本足りないだけで機能不全に陥ります。おそらく帝国の分裂によって、晋の植民諸都市の機能が緊急停止したのでしょう。そこで地元の酋長たちとの合同で生き残ろうとした。それは暫定的な措置であって、中央が復活すればまたそこへ統合すれば良い。そういう危機管理のできた植民都市は生き残り、そうでない都市は滅んだと思われます。

 半島南部はもともと、馬韓、辰韓、弁韓の3国に分かれていました。中国勢力が撤退して馬韓が百済に辰韓が新羅になったのですが、弁韓地方にはそれを統合する王朝が表れなかった。これはどういうことか。わたしは豊富な鉄資源があったからだと思う。帝国のシステムのうち鉄を扱う部分が生き残っていたと思われます。資源の採掘技術は文明の基礎ですが、農耕技術と違って秘匿性が高い。山師という言葉が今では詐欺師まがいに使われますが、もともとは鉱山技師のことでした。その技は一子相伝される秘密だったがゆえに、外から見ればうさんくさく見えたわけです。そんな帝国の技術が弁韓には生きていた。それを担当する現地部族が金官伽耶と呼ばれる小国でした。

 金官伽耶というのは、金氏の治める伽耶という意味です。金氏の先祖は金の卵から生まれたとする出生譚があります。卵は6つあって、それぞれ伽耶諸国の王となったが、そのうちのひとつが金官伽耶というわけです。この場合の「6」は「六白金星の天」の6に合わせように見えます。易では大地を示す数字もまた6ですから、大地の採掘に関わる金官伽耶にちょうど良い。採掘する者の名前が「金」というのもちょうど良い。いろいろそういった易的な、というか道教的な呪いがこの小国には加えられているようです。

 話がそれました。金官伽耶という小国はその特殊な技術のゆえに、どの国も手が出せなかった。まさに金の卵を産むニワトリのような扱いだったわけです。もしここが停止すると、せっかく始まった大規模開発が進められなくなる。でも他国に独占させるわけにはいかない。帝国の置き土産をいったいどうすれば良いのか。4世紀の極東アジア情勢はこの小国をめぐって混乱していくのでした。

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