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2010年3月

2010年3月 8日 (月)

2009年度京都建築専門学校卒業制作展

 大龍堂書店へ寄ったら店主に勧められたので寄ってみた。感じたことをメモしておきます。

 専門学校なので2年で卒業。短い間に何を学ぶのかというのは人によって相当開きがありました。この学校は伝統木構造をカリキュラムに入れているのが特徴。木構造を学びたい人には良い環境だと思う。実作実習のVTRが楽しそうでした。

 設計を学びたい人には3つのタイプがあった。資格を取りたい人、あこがれはあるけど何をしていいのか分からない中間層、まっとうな建築を学びはじめている人。資格系は製図学校のテキストのような試験対策図面。資格を取ることは大切なことだけど、展覧会向けの図面ではないな。コメントのしようがありません。中間系は、もう少し話を聞いてあげれば良いのにと思う。あこがれという原動力があるのだからもっと伸びるはず。このまま卒業させるのはもったいない。

 中間系に共通して言えるのは、ロケーションの読み方にもう一工夫ほしいこと。がんばっているのが分かるだけに惜しい。たとえば、学校を集落や都市のなかに開放的に配置する案が複数ありました。この場合のポイントは共用部分。つまり、道路を学生も住民も共用するわけです。そこに既存のお地蔵さんがあったりする。その花を誰が活けるのか。こどもたちが活けるなら、それなりの設計があるわけです。そうした共用部分の使いかたを現実のロケーションのなかに落とし込んでいく。それが建築計画だと思います。

 その点がよくできていたのが二人ありました。ひとりは広場の端に読書小屋を作った案。図書室ではなく小屋であるのがおもしろい。メインの施設から離れて斜面にポツンと建っている。この人の読書観がよく表れています。読書のための共用部分が斜面というロケーションのなかに溶け込んでいます。もうひとりは、谷あいに集落のように施設を配置した。バリ島のリゾートホテルのような感じ。それが田園風景のなかによく溶け込んでいます。わたしはライトを思い出しました。ライトこそロケーション読みの達人です。建築計画の力がついてくると、がぜん建築はおもしろくなる。まっとうな建築に至る王道だとわたしは思います。

 あとひとつ思ったのは、建築はもっとわがままでいいということ。生態系保護や高齢化問題などを前面に立てるきらいがあった。社会問題を解くほうに気をとられて表現にまで到達していないものが多いように感じました。もともと建築は権力的なものですから、社会問題と直接関わると押し付けがましくなりがちです。むしろ実習では、自分勝手な想像力を大切に育てたほうがいいのではないか。課題も、もっと簡単な「夏の家」とかでいい。そんなことも思いました。

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