2024年4月18日 (木)

大河原発電所(1919)

南山城村まで行ったのでレンガの発電所を見てきた。建物後ろに2つの水門が見える。そこまで水路で水を引いているらしい。レンガ壁の上から2メートルくらいのところに水平に補強が入っているのは、そこに天井クレーンのレールが取りついているのではなかろうか。

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2024.04.12、京都府南山城村

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2024年4月17日 (水)

高島屋東別館(1928‐1940)2

元エレベータホールの箱型照明がおもしろい。願わくば、もっとよく見えるようにしてほしい。

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2024.04.14、大阪市浪速区日本橋

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2024年4月16日 (火)

高島屋東別館(1928‐1940)

見事なアールデコだ。黒枠のなかに金色の飾り格子が潜み、その上にガラス製のインジケータが浮かぶ。なんと幻想的なデザインだろうか。これほど黒を使いこなすとは、さすが鈴木禎次(1870‐1941)である。

1928年に南側の第1期が完成している。このエレベータホールは第2期の1934年のものだろう。彼が54才のときの設計である。

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2024.04.14、大阪市浪速区日本橋

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2024年4月15日 (月)

椅子展(3)アイリーン・グレイは自由だ

彼女の作品が3つ出ていた。いずれも動く家具だ。

・寝椅子のトランサット・チェア ヘッドレストが動く
・自邸E‐1027用のサイドテーブル 円形ガラスのテーブルが上下する
・ロアティーノ フロアランプ 首が回ってライトの向きを変更できる

動きを楽しむという点ではマルセル・ブロイヤーと同じだ。彼女の場合、フロアランプのS字支柱のように可動部がデザインの契機となっているのがおもしろい。

自邸であるE‐1027は白い直方体の部分を切り離したり、ずらしたりする携帯操作で窓やコーナーを作りだしている。動くわけではないが、まるで動くかのように見える。技術的に可能ならば、きっと彼女は動く建築を作ったろう。環境変化に応じてメタモルフォゼ(形態変化)する建築。そんな自由さが彼女の作品にはある。

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2024.04.10、なんば高島屋「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」

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2024年4月14日 (日)

養父市の養蚕農家をスケッチした

養蚕農家と書いて「ようざんのうか」と読む。土蔵作り2~3階建ての民家で1階は人間、2階はお蚕が棲む。黄色い土壁の美しい民家で、わたしの理想の建築のひとつである。伝建地区(重要伝統的建築物群保存地区)の大杉地区が有名だが、養父市内ならいたるところにある。関宮地区も2階建ての養蚕農家集落だった。酒造家の安木家住宅をスケッチした。軒下の小さな頬杖がかっこいい。

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2024.04.14、兵庫県養父市

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2024年4月13日 (土)

なんば高島屋のレリーフの鋲(びょう)

なんば高島屋の正面には見事なレリーフ飾りがあって、いつも見とれている。これはテラコッタだろうと思う。下面にも花飾りがついているが、そのパネルを留める鋲(びょう)の頭隠しも花飾りになっていることに気づいた。芸が細かい。

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2024.04.13、大阪市難波

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2024年4月12日 (金)

椅子展(2)マルセル・ブロイヤーがおもしろ過ぎる

20世紀のデザインの主流のなかでブロイヤーだけ孤立しているのがよく分かった。それはブロイヤーのせいではなく展覧会の考える20世紀のほうの問題だと思う。それはさておき、彼のワシリーチェアがいきなり出てくる。世界で初めて作られた鉄パイプ製の椅子だ。直後から名だたる建築家やデザイナ―たちがこぞって彼のまねをし始める。こうして鉄パイプ椅子全盛の時代が唐突に幕をあげた。

この展覧会のおもしろさ、というより織田コレクションのおもしろさは、ブロイヤーの自転車寝椅子が出ていることだ。これがたいへんおもしろい。

木陰にこの寝椅子を置いて昼寝をするのだろう。日差しが動けば日陰を追って寝椅子を動かすことができる。おそらく、まんなかの車輪を手で回して寝椅子を動かすのだ。前後にしか動かないというが、体重のかけかた次第で、少しは進路を曲げることもできるだろう。だからといって、この寝椅子を機能的だとは言えないと思う。この自転車寝椅子には機能性では語れないおもしろさある。

彼は自転車が好きだったそうだ。そこにヒントを得て軽量で量産可能なワシリーチェアをデザインしたというわけだ。その結果、20世紀のデザインは機能美と大量生産性を備えたものへと脱皮した、というのが20世紀デザインの筋書きである。けれど、それでは自転車寝椅子を説明できない。むしろ彼は純粋に自転車が好きで、それをデザインに取り込みたかっただけではないのか。機能性や工業生産性よりも、動くデザインの楽しさこそ真髄だったのではないか。20世紀のデザインは思っている以上に「楽しい」のである。

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2024.04.10、なんば高島屋「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」

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2024年4月11日 (木)

椅子展(1)ガウディのイスの裏を見よ

なんば高島屋で開催中の「椅子とめぐる20世紀のデザイン展」を観てきた。10世紀末から現代までのデザインを俯瞰できる展覧会で勉強になった。

わたしは最初のほうのガウディやホフマン先生のイスがおもしろかった。なかでもガウディのカーザ・カルベットのアームチェアーがとてもかわいい。あまりにかわいいので、しゃがみこんで裏も確かめておいた。撮影可だったのでここにあげておく。

この展覧会は北海道東川町に寄贈された織田コレクションのイス1350点のなかから100点ほどを選んで構成している。織田憲嗣氏(1947‐)は高島屋デザイン部出身のデザイナーで現在は東川町在住。東川町は木工の町だそうだ。

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2024.04.10、椅子とめぐる20世紀のデザイン展にて

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2024年4月10日 (水)

上京区の洋間付き住宅

丁寧にお使いの洋間だ。サッシを入れ替えて屋根を改修し外壁を塗り直している。シンプルで端正なファサードに手入れのされた松がよく映えて上品な美しさがある。三条通りのSACRAビル(1916)に似ているので同時期だろうと思う。「京都市の近代化遺産」には大賞から昭和初期とある。

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2024.03.09、京都市上京区

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2024年4月 9日 (火)

上京区の元散髪屋さん

「ぷっくりタイル」とはこれだ。粘土ではなく粉を固めたものを焼いた乾式タイルだ。ふくらんだ内側がえぐられていて厚みが均一になっていることが多い。

窓下、壁、タイル壁頂部に3色を使っている。端正なプロポーションの立面を華やかに引き立てている。窓下の茶色いタイルが青く窯変しているのが美しい。壁のベージュ色のものはマーブル模様となっている。

ちなみに「ぷっくりタイル」は25年ほど前にわたしが付けた名前である。

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2024.04.08、京都市上京区

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2024年4月 8日 (月)

桜まんかい

きょう一日で満開になった。スパークリングワインの泡が音を立てて弾けるように咲き誇っている。

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2024.04.06,京都府向日市

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2024年4月 6日 (土)

大崎上島の建築(2)古民家のかたち

平屋建ての古民家はいずれも軸組み(骨組みのこと)がシンプルでとてもきれいだった。こうした木組みが作れるようになりたい。旧長谷川邸、小笠原邸、大望月邸を見たがいずれも軸組みは同じだった。特徴は次のとおり。

1.土間と土蔵は繋がっている。おそらくミカンの熟成蔵なのだろう。
2.土間の上は梁を三段重ねにしている。
3.旧長谷川邸は大黒柱が蔵側にあった(これはイレギュラーな事例かもしれない)。
4.座敷側に式台玄関のあった。
5.梁は柱の上に載る折り置き組みである。
6.梁と直交する長い材が梁どうしを繋いでいる。
7.建物の中央部分の柱を挿し鴨居で緊結している。

建物の重心が高いのは固有振動を伸ばすためかもしれない。地震動に対して全体がゆるやかに変形しながら柱の上の桁や梁が壊れない仕組みとなっている。船の構造と似ているようにも思う。

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Img_0079旧長谷川邸の小屋裏
Img_0088大望月邸の三段重ね梁
Img_0140小笠原邸の外観、折り置き組みであることが分かる

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2024年4月 5日 (金)

大崎上島の建築(1)木造5階建てを見てきた

この島には5階建ての旅館の建ち並ぶ風景があったが、ここへきて次々と解体されている。島内の有志で風景を守ろうとする機運があり再生活用が模索している。構造復旧について要請あり文化財修復構造技術支援機構のメンバー7名で現場を訪れた。再生の始まる前の尾道と同じような状況で、空き地が増えつつあるが魅力的な建物がいくつも残っていた。ぜひ応援したい。

< 木江(きのえ)の5階建て >
外観のみ見学。大正6年竣工。造船業長尾家が施主の接待所を兼ねた料理店として建築した。大正6年は造船の全盛期で全島の工員数は1500名だったという。古写真によれば、当初は道路側の2~4階が縁側だった。当初4階建てとして工事を始めたが、風害があり4は縁起が悪いからと5階建てに変更したという。建築時はすぐ海に面していた。正面に3つの破風を見せるのは、3が陽気の木気を示すからだろう。4階の階高が高く三重の入母屋屋根とあいまって軽やかで端正な美しさがある。

建築的な特徴は次のとおり
・4層の主屋の前後に巾3尺の濡れ縁を取り付け、大屋根上の望楼を備える。
・4階まで料理を運ぶためのリフトが備え付けられていたという。
・4階の階高が高いので大座敷だろう。
・わずかな変形があるが、よくメンテナンスされており健全な状態が保たれている。
・各層で庇を回しているため外壁への雨がかりが少なく建物の状態がよい。
・大屋根の梁を柱が直接受ける折り置き組みとなっている。周辺古民家もほぼ折り置き組みだったので島内の建築様式なのだろう。

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2024.04.02、広島県大崎上島木江

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2024年4月 4日 (木)

ゆえあって瀬戸内海の島にきた

木造5階建て旅館の調査のために広島県大崎上島にきた。木造3階建ての旧松本旅館に投宿した。旅館廃業ののち島内の有志が購入して再生なさっている。その取り組みのようすも聞かせていただいた。地域再生の動きがここにはある。
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2024.04.03、広島県大崎上島、旧松本旅館

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2024年4月 2日 (火)

フォーチュンガーデンの白い階段室

カルチャーハウスの大人の遠足でフォーチュンガーデンへ行った。ここは階段室が見どころのひとつだ。型ガラスの窓の拡散的光線が白い壁によく映える。荒川義夫設計、武田五一設計顧問、清水組施工、1927年竣工、旧島津製作所本社。今は結婚式場となっている。

大人の遠足 https://culture-house.com/excursion/

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2024.03.28、京都市中京区、旧島津製作所本社

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2024年4月 1日 (月)

現役最古の駅舎・亀崎駅を見てきた

愛知県の知多半島の半田市にある明治19年の亀崎駅を見てきた。昨年明治21年の牟礼駅を見たので、その参考とするためである。

結論を言えば牟礼駅とよく似ていた。ふたつとも同じひな型を元に建てられたのだろう。明治19年の時点で標準設計ができあがっており、それを元にしてそれぞれの地域で駅舎が作られていた可能性が高い。

(焼失説)
ウイッキによれば「鉄道局年報、明治27年度版」に明治28年(1895)3月に駅舎・官舎の焼失記事があり仮建物で駅業したという。翌年の年報に駅舎・官舎の再建記事がある。そのため現在の駅舎は再建後のものだとする説がある。ただし当時の扶桑新聞に「亀崎停車場官舎の焼失」の見出しで「官舎より発火し(中略)全戸焼失」とあり駅舎については触れられていない。

官舎がどこにあったのか分からないので断言はできないが、駅舎は燃え残ったのではないかと思う。多少類焼したところを修理して使い続けたと考えれば、ふたつの記事は矛盾なく読めるだろう。よく調べれば火災修理の痕跡があるだろう。それが見つかれば明治19年竣工でよい。

(昭和4年の増改築)
ウイッキには増改築の記載もある。「武豊線物語」によれば昭和4年に駅舎を増改築したという。

(牟礼駅との比較)
牟礼駅と比較してみる。当時の駅舎は半分が駅務、貨物取扱、半分が待合なので、平面計画的には違いはない。構造的には3間×8間ほどの母屋の3方に庇がまわっている。柱は布石の上に直接建て、柱どうしをつなぐ地覆(じふく)があった。これは伝統的な工法であり牟礼駅と同じだ。

屋根は軒桁にトラスを架けて、その上から鼻母屋で押さえている。おそらく金物で締めつけているのだろう。金物で締めているとすれば耐震木構造となる。明治24年に濃尾震災があったので、火災修理の際にこうしたのかも知れない。もしくは昭和4年の増改築の際の改造かもしれない。

ちなみに牟礼駅は柱の上にトラスを直接乗せる折り置き組みという工法だった。これは信越線沿線のやりかたなのかもしれない。標準設計は間取りだけで、上部構造は各地の工法にゆだねていたと思う。

牟礼駅と違うのは、待合の入り口が妻側にあること。駅前広場が妻側にあるからこうなるのだが、駅舎と広場の並列するタイプは当時の駅舎であまり見たことがない。広場を広げるために曳家をしたようにも見える。これは古地図を見れば分かるだろう。

ほかには本体に直角に下屋が突き出ていること。これも標準設計ではない。

現在の待合は庇部分を取り込んで広くなっている。もとの壁面は柱だけになって方杖で補強している。このあたりは昭和4年の増改築なのだろう。直角に突き出た下屋もそのときの増築だと思う。さらにプラットフォーム側の庇の柱も方杖補強されているが、これも昭和4年の補強に見える。基本的には原型をよくとどめている。

※ もうひとつの現役最古の駅舎(牟礼駅)http://www.tukitanu.net/2024/02/post-477a2c.html

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2023.03.29、愛知県半田市

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2024年3月31日 (日)

旧野間郵便局(1931)

知多半島旅行で見つけた。登録文化財となってきれいに整備されたようだ。下見板張りと木製建具の取り合わせが美しい。庇支えの金物に〒マークがあるのが珍しい。玄関扉はこの時代の郵便局建物のお決まりともいえる〒マークだ。半切妻屋根や屋根窓の組み合わせが変化を作り出してなかなかよろしい。修理の手もていねいで見習いたいと思う。

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2024.03.30、愛知県美浜町

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2024年3月29日 (金)

紫明会館の黄色い星たち

風よけ室がとてもよい。黄色い星が迎えてくれる。ありがとう。

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2024.03.22、京都市上京区

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2024年3月28日 (木)

紫明会館

これだけのクオリティなのに設計者がいまだ分からない。隣接する師範学校の同窓会館だから師範学校の十河安雄だろうとは思っていた。彼のデザインは教育大付属も鴨沂高校も和風をアレンジしているのに、ここは外観も内装も和風的なところはない(和室はあるが)。だから違う人の担当ではないかと最近は思うようになった。

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2024.03.22、京都市上京区

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2024年3月27日 (水)

ヴォーリズベンチに座る

東華菜館には竣工当時の家具が複数残っている。その多くが建て物と同じ八角形の星型(八芒星)モチーフを有している。これもそうだろうと思っていたらHPにヴォーリズ設計と紹介があったので間違いなかろう。ちょっと低めのベンチで座り心地がすこぶるよい。写真を見て気づいたが、座面の下に補強用の金物が光っている。今度行ったら確かめてみる。

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2024.02.21、京都市下京区

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2024年3月26日 (火)

湯川記念館(1952)

わたしが説明できない建物はそう多くない。でもこの建物はまったく分からない。分離派時代のほの冥(くら)い情念の欠片もない。楽友会館と同じ作者とは思えない。とりあえず立面が黄金比であることだけは分かった。ペレの影響があるということだが、どこがペレなのか? 説明できる人は手を挙げてください。

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2024.03.20、京都市左京区

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2024年3月25日 (月)

天理の木造校舎群

天理大の創設者記念館の南側にある。姿のよい校舎で3棟並んでいる。何の施設なのかはまだ知らない。天理大の周りには木造の古い校舎がいくつか残っている。いつかまとめたい。

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2024.03.20、天理市

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2024年3月24日 (日)

旧京都府警本部

階段室にステンドグラスがあるのはずっと昔から知っていた。府警本部のころはカメラを向けただけでおまわりさんが飛んできたけど、今は見放題なのはありがたい。ぜひ中も見たい。

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2024.03.15、京都市上京区

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2024年3月23日 (土)

これは壁紙なのか?

東華菜館で、こうした浮き彫り模様の壁が2ヶ所ある。いままで西洋漆喰塗りの上から型押しだと思っていた。でも先日のまいまい京都で訪れてからエンボス壁紙ではないかと思うようになった。今度行ったら確かめてくる。

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2024.02.21、京都市下京区、東華菜館

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2024年3月22日 (金)

駒井邸の連続手すり

ヴォーリズは、階段こそ家族の重要なコミュニケーションの場だと指摘した。わたしもそう思う。だから階段はゆったり作れという。そのとおりだ。この階段の1段の高さは16㎝くらい。とても低い。わたしはがんばっても18㎝を切るのがせいぜいだ。見習いたい。

ただし、ゆったり作ると当然ながら階段は長くなる。そこで長くなった階段を納めるために、角を回り階段にしている。写真の手すりが垂直に立ち上がっているとこが、角のまわり階段部分だ。

こういうとき、普通の設計なら下から上る手すりは角で親柱に突き刺さり、そこから上の手すりと分断するだろう。分断すれば、下りるときに手すりを持ち替えねばならない。回り階段のところで一瞬手が離れるので実は危ない。それを避けるために象さんの鼻のようにビヨーンと立ち上がった手すりとなったわけだ。ヴォーリズの心遣いに注意すべし。

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2024.03.20、京都市左京区駒井邸

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2024年3月21日 (木)

紫ガラスのドアノブ

ヴォーリズはガラスのドアノブをよく使う。透明なものが多いが色ガラスもある。なかでも紫は珍しい。このドアノブは外部なので日光を透かして美しく輝いている。いつも写真を撮ってしまう。

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2024.03.20、京都市左京区駒井邸、まいまい京都にて

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2024年3月20日 (水)

能登の出窓は愛らしい

能登には愛らしい出窓が多い気がする。雪との関連があるのだろうか。下見板張りと出窓とのタッグは最強である。まねしたい。

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2024.03.17、石川県宝達志水町

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2024年3月19日 (火)

復旧のための下見をしてきた

被災地からNPOアセックに対して救援依頼があったので、5名のチームで3月16日から17日にかけて現地下見をした。

NPOアセックとは文化財修復構造技術支援機構の略称である。神戸の震災以来、震災復旧や構造補強の技術支援に当たっている。構造学者や建築史家のほかに大工棟梁や瓦職人、左官技術者などで構成されている。わたしは意匠系の設計者なので主に構造実測を担当している。

できるだけ地域全体の被災状況を確かめたかったので、要請のあった宝達志水町の現場のほかに輪島市、門前町、内灘町などを駆け足で見てきた。被災状況と今後の行動についてメモしておく。

<被災状況>
・輪島の中心市街地の木造建物は戦後のものが多かった。構造部が倒壊したものは全体の1割、構造復旧が必要なものは全体の1~2割程度。残りは構造復旧の不要な軽微な損傷にとどまっていた。液状化現象の跡がいまも残っていた。

・門前町(輪島市)も同じ状況。ここは中山間地なので液状化現象は見当たらなかったが、それでも被災程度は輪島と同じだった。道路添いで地滑りを複数見たので、表層地盤が動いた可能性はあるだろう。この地域は伝統木構造である枠の内造りが多いように見えた。

・黒島町(輪島市)はほぼ枠の内造りの古民家が並ぶ。被災程度は門前町より少ないように見えた。4秒間で4メートル隆起した海岸のようすを確かめてきた。なお、耐震補強しながらも倒壊した旧角家家住宅は今回は見ていない。

・内灘町 砂丘下で液状化現象の跡が今も残っていた。地表が波打ったために傾斜したものが多い。液状化現象による免震効果のために構造部は軽微な損傷にとどまっている。倒壊したものは少ない。全体の3割程度が復旧が必要なほどの傾斜被害を受けている。砂丘上はほぼ無被害だった。

<今後の行動>
・被災建物の多くが傾斜を修正すれば復旧できることが分かった。ジャッキアップや薬注リフトアップなどの復旧方法を示すパンフレットを作成し現地説明会を開く。
・被災地で建て起こしのモデルケースをつくる。

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2024.03.17、輪島市内

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2024年3月16日 (土)

奈良県立美術館(1973、1979増築)

県庁、文化会館と同じ片山光生(てるお)の設計。美術館だけ宝形屋根がかかっているのは、1973年の奈良市総合計画で景観的な配慮を求められたためかもしれない。ただし屋根勾配が緩いので近くからは屋根は見えない。他と同じような深い庇が出ており、モダニズムの清潔な町並みを作り上げている。

この美術館のおもしろいところは平面計画にある。中央吹き抜けのまわりに展示室をドーナツ状に配置する。廊下がないのが特徴だ。現在、正方形の建物が2棟つながっている。後ろ側は増築部だろう。北側にも空き地があり、さらに増築できる余地がある。増築しても平面的には使いやすいようになっている。よくできている。

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2024.03.10、奈良市

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2024年3月14日 (木)

奈良県文化会館(1968)

奈良県庁と同じように庇に穴が開いている。なぜ穴が開いているのか私には分からないのだが、穴からのぞく青空がきれいだ。県庁と同じ片山光生(建設省近畿地方建築局)の基本設計という。

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2024.03.10、奈良市

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